僕の書いたブログをそんなに読む人もいないだろうと思って、しばらくブログを中断していたのだが、最近、複数の人から「たまにはブログも更新してよ」と言われることがあった。内容がどうというよりも、ブログが更新されることで、一応、僕もなんとか元気にやっているという生存確認であるらしい。まったく不義理極まりない僕でも、少なからずそうやって気にしてもらえる人がいるということは本当に幸せなことである。
僕の高校は広島にあるごく普通の公立高校で、僕自身は何か目標がある訳でもなく、何かに必死に取り組むようなこともなく、なんとなくダラダラとした日々を過ごすだけの高校生であったが、そんな僕よりもさらに人に流されやすいタイプのお人好しな友達がいた。
僕の家はド田舎の山の上にあるのに対し、その友達の家は市内の繁華街にあったので、僕がよく家に泊まりに行っては、一晩中下らない話をして時間を浪費していた。ド田舎に住んでいる僕にとっては、夜中に繁華街に出て缶コーヒーを買ってくることだけでもちょっとした冒険のように思え、少しだけ大人になったような気がしたあの頃、僕らは16歳だった。
高校2年生の夏休みぐらいからは、なんとなく大学受験の準備が始まり、僕は何の目的もないまま予備校に通い始めたりしたのだが、同じく特に何の考えも持っていないその友達は、どういう訳だか、一々僕が行くところについてくるのである。大して成績が良い訳でもない僕よりも、さらに成績が悪かったにも関わらず…。
後にお母さんから聞いた話では、その後、同じ大学に行くことを目標に彼なりに努力をしたらしい。大学が決まった時に、お母さんから「良い友達に影響されたお陰で大学に行くことができた。ありがとう。」とお門違いのお礼を言われて面食らったことを覚えている。高校の先生も彼の合格は意外だったらしく、クラス内では密かに奇跡だと言われていた。
高校を卒業する時には、好きな女の子に告白したいのだが一人では怖いからという理由で、なぜか僕が告白の場面に付き添いで行ったことがある。(その結果がどうだったかはもはや覚えていないが…)
大学で僕がやった数々のアルバイトは、すべて彼の斡旋によるものである。
何をやってもドン臭い僕とは違って、彼はなぜかテキパキと仕事のできる奴で、どんなアルバイト先でも常に信頼される存在であった。例えば、当時一緒にやった引越しのバイトでも彼の仕事は極めて手際が良く、特に段ボール箱の紐かけなどは、そのスピードともじり結びの出来栄えが群を抜いていた。
後に、彼が自分の家を建てて引っ越しをした際、引越し業者の人がそのあまりに見事な荷造りにいたく感心して、お母さんに「う~む、これは素人の仕事じゃないね…」と言ったそうである。
大学を卒業して就職してからは滅多に会うこともなくなったが、アイツの方からは変わらず連絡をくれていた。それに対して僕の方から連絡したことはほとんどなかったと思う。連絡すればすぐ出てくるヤツなので、いつでも会えると思っていた…。
2、3年前に「今、東京にいるから会えないか?」と連絡をもらったが予定が調整できなくて会わずじまいで、結局、その時の「今ちょっと忙しいんで、またな。」と若干面倒臭そうに言ったのが最期の会話になってしまった。
アイツは、
僕が結婚したときは、心からおめでとうと言ってくれた。
僕に子供が生まれたときは、自分のことのように喜んでくれた。
僕の母親が死んだときには、一番に駆けつけて一緒に悲しんでくれた。
それなのに、16歳の頃から変わらずずっと僕の味方であり続けてくれ、僕のことを常に気にし続けてくれた友達が、自らその生涯を終えようとしているときに、僕は何もしてやることができなかった。ホント何やってんだ、俺。
申し訳ない気持ちで胸が押し潰されそうである。痛恨の極み。
高校の同級生から訃報の連絡を受けても、とても本当のことだとは思えず、何度かアイツの携帯に電話してみたが、やはり繋がらない。亡くなったということ以外は何も事情が分からないまま、ともかく教えてもらった連絡先に電話してみると、電話口にお母さんが出られて、「あ~、マエカワ君ね。まあ懐かしい。」と、すぐに僕のことを思い出してもらえた。
それから彼の家に向かったのだが、お父さんは既に他界されており、彼は一人っ子であったため、一人残されたお母さんは、あの頃のイメージとは違い、当たり前に年老いておられた。なにしろ最後にお会いしたのは40年近くも前のことである。
そのお母さんが懐かしいアルバムをいろいろと引っ張り出して来てくださり、写真を見ながら、思わず笑ってしまうあの頃のことを思い出しては二人で泣き笑いした。そして彼が大きな病気をしたこと、その後の最近の状況や亡くなったときの様子など。
何も知らなかった…。
年老いたお母さんの前で、結局アイツに何もしてやることができなかった僕の方が普通に元気な姿でそこに座っていることが申し訳なく、本当に胸が潰れて心臓が飛び出るような思いであった。
「あの子もマエカワ君が来てくれて喜んでると思う。健康に気をつけて頑張ってね。」
お母さんにそう言われて彼の家を後にした帰り、タクシーの中でも涙が止まらなかった。
そのあと、繁華街にあったかつての家にも行ってみたが、今はもう駐車場になっており、その風景もすっかり変わってしまっていた。当時、自分の家のように何度も通っていた道なのに、はっきり思い出すことができない。それでも、その周辺を歩いているうちに、徐々に断片的な記憶が蘇って来る。
今となっては、僕はただ、何者でもなく普通にただのアホだったあの頃のことを、ずっと忘れないでいることしかできない。
やけに長かった今年のゴールデンウィークの直前、まだ4月だというのに、広島はやたらと暑かった日のことです。
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前川@ドリーム・アーツ
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