「お客様の立場に立って・・・」と自信を持って言えますか??

斎藤昌義(さいとう まさのり) 2010-02-20 10:38:40

 トヨタ自動車の豊田社長が、議長の招請を受けて米国の公聴会に出席することが決まったようだが、この記事を見て、そういうことになるだろうとは、予想していた。

 会社としての諸事情や駆け引きはあったのだろう。ただ、「公聴会に出席しない」という社長の記者会見の中で語られた「お客様第一」という言葉が、空疎に聞こえたのは、私だけではないだろう。

 屋上屋を架すことは、私の本意ではないので、これ以上、申し上げるつもりはない。ただ、営業として、「お客様第一」、「お客様の立場に立って」という言葉の意味を改めて考えさせられた。今日は、この点について考えてみようと思う。

 私は、中央線に乗って通勤しているが、遅れや運休は、日常茶飯事。そのたびに、車掌は、「申し訳ございません」と謝罪の言葉を述べる。

 考えてみれば、彼の責任ではない。では、JRの責任かといえば、そうとも限らない場合が多い。先日も高円寺で起きた運休では、酔った若い女性が、線路に落ちたことが原因だと聞いている。それでも、車掌は、「申し訳ありません」と謝罪する。

 人は、理屈だけでは動かない。遅れた、止まったことの理由の如何にかかわらず、人は苛立ち、不満や怒りがこみ上げてくる。この感情がある限り、人は、理性的な判断が、できない。だから、まず「申し訳ありません」という言葉で、相手の感情の高ぶりを抑えようと試みる。

 システム・トラブルは、コンピューターの宿命だ。私が現役の一時期は、大型の汎用機が主流だった。汎用機はその名の通り、多くのユーザーが、同時にいろいろな業務で利用している。それが、トラブルを起こし、ダウンしようものなら、大変なことである。そんなことが起きたときには、とるものもとりあえず、まず頭を下げにゆくのが、営業の鉄則だと教えられていた。そこで駆け引きをすることは許されない。

 こちらに非があろうがなかろうが、頭を下げにゆく。それでトラブルが解決するわけではなのだが、まずお客様に顔を出し、申し訳ないという気持ちを伝える。そして、お客様が、理性的な解釈や判断ができるようにすることが、営業の役割だと心得ていた。理屈はそれからである。

 お客様第一、お客様の立場に立ってという言葉が、巷にあふれている。というか、実に軽々しく使われているように思う。

 この言葉、決してお客様の言いなりに何でもするということでもなければ、「お客様は、こうあるべき」という、こちらの勝手な思い込みを押し付けることでもない。

 理屈だけではない、お客様の心の動きや、意思決定に至る葛藤、会社や家庭における彼の立場や期待。そういういろいろなものが、彼を動かしている。

 そういうことを想像することが、お客様の立場に立つということなのだろうと思う。

 愛情も、同様である。相手のことを想い、いろいろと想像し、どうすれば相手が幸せになれるかを考え行動する。それを思いやりという場合もある。その想像力が足りなければ、相手は、あなたに愛情が薄い、思いやりがないと不満を表明するだろう。

 これは職場でも同じことだが、相手の気持ちを想像できず、いや、想像する努力もせずに、自分の考えていることだけを話したり、相手の嫌がる質問をしたりする人間のことを「空気が読めないやつ」というではないか。

 まず頭を下げるというのは、決して「非を認める」ことではない。非を認めるかどうかは、理屈の結果である。ここは、徹底的に論理的に事実を追求し、責任の所在を明らかにしなければならない。そのことと、最初に頭を下げるということは、目的が違うのである。 

 さて、豊田社長は、あるいは、彼の側近は、この違いを理解されていたのだろうか。

 今回の出来事を他山の石としたいものである。 

*− 追記: 2/21 読売新聞 「編集手帳」にこんな記述がありました −* 

「人は、起こしたことで非難されるのではなく、起こしたことにどう対応したによって非難される」 

 ■ お客様の立場をどうすれば想像できるのだろうか

   お客様は他人である。そんな相手のことを想像しろといわれても限界がある。夫婦だって、実のところ相手の気持ちなどろくにわかってはない。所詮無理な話である。

 しかし、それでも相手に信頼され、愛情を感じてもらうことができる。そこには、相手を理解しようという情熱があるからだろう。そして、相手が何を考え、どう考えて行動するかを想像する上でのパターンが読めるから、相手も安心してくれる。

 ところで、営業という仕事の中で、お客様は、どのように考え、行動するのだろう。あなたには、そのパターンが読めますか。 

 「ソリューション営業プロフェッショナル養成講座」は、そんなパターンについても、解説いたします。

 詳しくは、こちらをご覧ください。  

※このエントリはZDNetブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および ZDNet編集部の見解・意向を示すものではありません。

2件のコメント
  • 斎藤昌義

    赤彗星様
    コメントありがとうございます。「あまりにも短絡的」とのご指摘は、そのとおりです。「謝罪する」という行為がもたら反応や影響が、日米で大きく異なることは、ご説明のとおりです。

    私がこのブログで申し上げたかったことは、「感情的側面と論理的な側面を一緒くたにしてはいけない」ことを論じる例として、今回のケースを引き合いに出しました。トヨタの今回のケースを聞き、米国の事情というよりも、このような事態に直面したら、自分はどうするだろうかという発想から、この記事を書かせていただきました。「IT業界での謝罪と同列に論じる」ことは不適切とのことは、そのとおりだったかもしれません。

    ただ、感情と論理への対処を分けて考えるべきとは、簡単なことではありませんが、根っこのところで、日米でまったく違っているとは思えないのですが、どうでしょうか?

    2010年02月22日

  • 赤彗星

    米国と言う、訴訟社会において、単純に会社のトップが謝罪するのが危険なのは、日本とは異なるでしょう。日本における、IT業界での謝罪と同列に論じるのは、あまりにも短絡的ではないでしょうか。

    2010年02月22日

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