「知らせる力」から「知られる力」へ 本当の人脈とは

斎藤昌義(さいとう まさのり) 2012-03-17 08:30:00

「山田社長ならよく知ってますよ。彼に話せば何とかしてくれますよ。」


私は誰々をよく知っています、あの人なら私が話せば聞いてくれますよ・・・


そういう趣旨の話しを自慢げにされる方がいらっしゃいます。しかし、こういう話しを聞くと、「私はキムタクを知ってますよ。」「野田総理のことならよく知っています。私が話せば聞いてくれますよ(・・・日本国民ですから)」とあまり変わらないように思えてしまうのは、私がへそ曲がりだからかもしれません。


人脈築くことの大切さは、よく言われることです。しかし、人脈という言葉の意味が時々逆の意味で使われていることがあります。


人脈とはどれだけの人を知っているかではなく、どれだけの人に知られているかです。


たとえあなたがどれだけの人を知っていても、あなたがその人に知られていなければ、いったいどのような価値が生まれるのでしょうか?


偉い人のお供で会議や会食の機会があり、名刺も交換し、挨拶も交わしました。そういう機会が何度かあったとして、名刺もたくさん集まりました。しかし、それで人脈は広がったことになるのでしょうか。


たとえどれだけ多くの人を知っていたとしても、あなたが相談を持ちかけたとき、「あなたならよく知っています。是非話を聞かせていただきましょう。」と言ってもらえない存在だとしたら、その「人脈」はなんの価値も生み出せしません。


その一方で、あなたがたとえその人を知らなくても、その人があなたを知っているなら、こちらとしてはたとえ初めてでも、相手は真剣に話を聞いてくれるはずです。


本物の人脈とは、相手に与えられるものを持つこと、そしてそれを提供し続けることで築かれるものだと思います。


私の友人に、佐々木賢一さんという仙台のベンチャー企業の社長がいらっしゃいます。かれは、今回の震災直後に南三陸町に入り、それ以来毎週現地に入り、地元の人たちの話しを聞き、必要なものを届け、その情報を多くの人たちに発信し続けています。そして、自ら「ITで日本を元気に」というグループを作り、IT企業の多くの仲間と共にPCを避難所や仮設住宅、被災した学校や企業に届ける活動を続けています。その数は、500台を越えるまでになりました。


この活動を通して、南三陸町で彼の名前は知られるようになりました。そして、知らない人からの相談も寄せられるようになったそうです。また、IT業界に関わる人たちに地域の現状を伝えることを通じて、多くの支援者、協力者が彼と共に活動しています。私も、そんな彼の活動を聞いて、何度か被災地を訪れる機会を得ることができました。


彼は、被災地の地元に、そして、IT業界に知られる存在となりました。たぶん、彼から相談された多くの人は、真剣に彼の話を聞こうと思うはずです。


人脈を築くとは、まさにこのようなことなのだと思います。


人脈とは、与えるもの持ち、それを与える努力を積み重ねた結果として築かれるものだと言うことです。


ビジネスの日常にもこの考えは矛盾なく当てはまります。つまり、相手が必要となるものを届けることができなければ、あなたは相手からすぐに忘れられてしまいます。相手が何を必要としているのか知り、その必要を満たせるものを届けられる存在であることを伝え、実行してゆかない限り、あなたは相談される存在になれないでしょう。


先日のブログ「営業力とは競合を作らない力」に次のように書きました。


お客さまに「課題」があればまずはあなたに相談する。そういう存在になれば、競合はありません。・・・そういうお客さまとの関係を作る力こそ、私は「営業力」ではないかと思っています。



プレゼンテーションやドキュメンテーション、会話術など「知らせる力」を磨くことも大切です。しかし、私はそれ以上に、与えられるものを持つ努力、それらを積み重ねてゆく努力、つまり「知られる力」を磨くことはもっと大切なことではないかと思っています。


人脈とは、そうやって築き上げてゆくものではないでしょうか。



■ 3.11 被災地を訪れて ---


先日の3.11、「ITで日本を元気に」のメンバー31人と共に、宮城県の石巻から沿岸部を福島県の南相馬、福島第1原発20キロメートルの規制線が引かれているところまで見てきました。改めて、復興はまだまだこれからであるという現実を思い知らされました。



石巻市門脇小学校の教室

震災直後の光景が残されています。

幸いにも生徒は避難して難は免れたそうです。


破壊され尽くされた圧倒的光景、いまだ瓦礫が手つかずの地域、ねじ曲がった線路に崩れ落ちた駅舎のあるプラットフォーム。まだまだ時間がかかりそうです。



東松島市大曲

石巻は瓦礫の撤去も進んでいますが、こちらはまだまだです。


東松島市野蒜

奥松島の景勝地、仙石線の駅舎は破壊されたままの姿をとどめています。



名取市閖上(ゆりあげ)

 この一帯で一千名を超える人たちが亡くなりました。

このあたりはかつて住宅街だった場所です。

今では、360度なにもありません。

ここで、14時46分を迎え一同黙祷を捧げました。




南相馬市

福島第1原発の20Km規制線。

これより先に立ち入ることはできません。

こちらの放射線量は問題のないレベルでした。



今回は放射線の簡易測定器も持参しました。途中立ち寄った飯館村役場ではこの行程の最大値2.31μSv/hという値を計測。これは仙台駅前の33倍という線量でした。もうすっかり日が暮れた街にはまったく生活の明かりはありませんでした。


震災一周年を迎え、マスコミの報道も徐々に下火になるでしょう。しかし、まだまだ手つかずの課題が山積しています。この現実を改めて思い知らされました。


自分には何ができるか、何をすべきかを考えることは大切なことだと思います。しかし、まずはその前にこの被災地を自分のカラダで感じることです。


今回のツアーには被災地を始めて訪れる方もいらっしゃいました。そのだれもが、いや再び訪れたものでさえ、この光景に圧倒され、それぞれに思うものがあったと思います。


瓦礫の広域処理が進まないという現実。そこには被災地の実感が乏しいということもあるのでしょう。だからこそ、この光景を感じた人を増やし、その思いを伝え広げてゆく。そんな取り組みにも意味があると信じています。考える前に感じること。そういう行動もまた大切なのだと思います。


震災後2年目を迎えた今、地道に末永く被災地に関わっていこうという思いを新たにしたそんな1日でした。




福島駅

今回参加した「ITで日本を元気に」のメンバーです。



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※このエントリはZDNetブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および ZDNet編集部の見解・意向を示すものではありません。

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