「つまらない講義」の作り方

斎藤昌義(さいとう まさのり) 2012-12-29 13:30:00

「既に知っている話で新鮮みがなく、あまり参考にはなりませんでした。」


先日の講義の後のアンケートにこのようなコメントが書かれていました。これはかなりショックでした。主催者側とは事前の打ち合わせも重ね、それではこの内容で参りましょう、と合意し作り込んだものが、受講者の期待を裏切ってしまう結果となったわけです。


なんと言っても受講者にとっては、貴重な時間を無駄にしたわけですから、「金返せ!」という気持ちでしょう。一方私としても、受講者のプロファイルや研修の趣旨を斟酌し、準備に手間をかけています。それが報われないことへの無念さもさることながら、講義の評価が今後の御依頼の判断材料にもなるわけで、ビジネス・チャンス喪失の危機でもあるのです。


この様な評価を頂く理由は様々ですが、基本的には講師側の責任です。受講者のレベルがどうのとか、研修の趣旨を受講者に徹底できない主催者の責任であるとか、自分以外のところに責任を帰することは容易ですし、気持ちも楽です。しかし、だからといって、一旦下された評価を覆すことはできません。


お金を頂き引き受けさせて頂いた以上、言い訳をしていては、次の仕事はありません。また、改善の余地もありません。


このような事態にならないためには、どうすればいいのでしょうか。自戒を込めて、講師という立場から、できることについて整理してみました。


このブログをご覧の皆様の中には、講師をされる機会をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。そんな方々のご批判も期待しつつ、私なりの考えを紹介させて頂きます。


1.主催者ではなく受講者の立場で考える


研修やセミナーで講師の仕事は、その主催者から依頼されます。あるいは、主催者から依頼された研修会社などが仲介している場合もあります。どちらにしても、主催者と必ず直接面会し、会話をすることが最初です。


主催者は、講義や講演の趣旨について、説明をしてくれるわけですが、これが必ずしも受講者の立場や期待を反映しているという訳ではありません。


例えば、社内研修の場合、総務や人事の方が主催者となられている場合、受講者の現場と意識に隔たりがあることを覚悟すべきでしょう。そのような意識の隔たりを意識したならば、受講される方の部門責任者や受講予定者の代表者との面会をお願いすることにしています。


もちろん、総務や人事の方でもそのあたりを良く理解されている場合や、自分自身が現場経験を持たれている方も少なくありませんので、これは全てに当てはまるわけではありません。ただ、現場は日々刻々変化しています。ですから、主催者のお話をしっかりと伺い、それを仮説として、可能な限り受講者の現場に近い方と会話して検証することが理想だと思っています。


また、対外的なセミナーで講演をさせて頂く場合は、マーケティングや販促などのスタッフが主催者である場合があります。そういう場合も、その商品やサービスを販売されているお客様と会話している営業やパートナーの方と話をし、現場の感覚を身近で感じる機会を作るように努力しています。


主催者は、こちらを慮って、簡潔にわかりやすく整理して話をしようとしてくれます。それはありがたいことなのですが、それはその人の立場で解釈したフィルターがかかっています。実際に訊いていると、現場は全く違うところに問題意識を持っている場合があります。ここを理解し、感じ取り、そこに講義の焦点を合わせなければ、受講者を満足させることはできません。


常にこのような対応ができる訳ではありません。ただ、可能な限り、そのような機会を作って頂けるようにお願いをしています。もし、できない場合でも、私が経験的に感じ取った疑問や現場に確認して欲しいことなどを託すようにしています。


このようなことをして、実際に講義を受けられる皆さんのプロファイルを知り、目線に近づくことが大切だと思います。講義のテーマを考え、内容を作り込むときに最も大切な視点となるからです。


このような視点を持つことが、なぜ大切かと言えば、それは「相手の知りたいことを伝える」ことが、講義や講演の目的だからです。「自分の伝えたいことを伝えること」ではないからです。


「せっかく資料作ったので、とにかくそれを伝えたい」という独りよがりの講義は、講師としての自覚が足りません。講師は、受講者に喜んでもらえてこそ、お金を頂けるわけです。自分の知識をひけらかすだけなら、それはカラオケと同じであり、自分でお金を払うか、せめて無料でお引き受けすべきでしょう。


相手の知識のレベルを知り、相手の思考の動線を知り、相手が何を知りたいのかを知る。これらを知るためには、受講者に近づく以外方法はなのです。


2.美しい資料を作る


「内容さえしっかりとできていれば、資料の美しさは化粧であり、必ずしも追求する必要は無い。」


私はこの考えには反対です。徹底して美しさを追求する。それは、必ず内容を伴うからです。


そもそも「内容」とは何でしょうか。私は「物事の本質」であると思っています。講義や講演は限られた時間の中で完結させなくてはなりません。これは書籍とは大きく異なるところです。また、人間は同時に多くの情報を与えられると、どこが重要なのかを判断することができません。


よく見掛ける「ここに全部書いてあります」という資料は、講義や講演の資料では、最もレベルの低いものです。これでは、何が重要かの判断を受講者自身にゆだねているようなもので、講師の力量は何も発揮されていません。


あるいは、このような資料を使って、「ここが重要な点です」と語る人もいます。ならば、そこだけを描き出し、あとは参考資料にするということをなぜしないのでしょうか。これは、講師の手抜きです。


重要な点とは、「物事の本質」です。それが理解できているかいないかは、資料を見れば分かります。情報量が多く、整理されていないと感じる資料を使っている講師は、物事の本質が理解できていないのです。あるいは、理解していても、それを説明できる自分の言葉を持っていないというべきかもしれません。


自分では分かっている、その情報を使って様々な判断や仕事をこなしている。その分野で一流であっても、それを説明できないとなれば、それは講師としては失格です。講師の能力とは、その知識を使って仕事ができることの能力とは同じではないのです。


良くある話ですが、自分が知っていることは、他人も知っているという前提で話をする人がいます。あるいは、そういう前提知識を持たない人が悪いのであって、わからなければ分からないでしょうがない、と考えて話す人がいます。


確かに、そのような講義もあるわけで、この考えを一概に否定するつもりもありません。ただ、このような考えの持ち主は、往々にして前節で述べたように、「相手の知りたいことを伝える」という意識をもっておらず、「自分の知っていること、伝えたいことを伝えるだけ」になっていることがあります。そのような人の講義は、たとえ内容が網羅されていても、講義として高い評価をいだくことは難しいでしょう。


「美しい資料」とは、このページに込めるメッセージを絞り込み、何を伝えたいかをはっきりと意識して、それだけを描いた資料です。それぞれのページに込められたメッセージは、そのページで完結させることが理想です。一枚にたくさんのメッセージを詰め込もうとする一体そのページは何を伝えようとしているか訳が分からなくなります。例え、口頭で補っても、それは資料と一致しませんから受講者は混乱するだけです。


物事の本質を追究し、それをメッセージとする。それを修飾し、補完する最低限の情報を配置する。そのためには、図形の配置やフォント、色使い、全体のレイアウトなども大切な要素です。つまり、伝えたい中心となるメッセージを浮かび上がらせるように幾何学的、色彩学的に配置しなければなりません。


また、情報量が多く、引きつける美しさがなく、どこに目線を定めればいいのか分からないような幾何学的な構成を伴わない(簡単に言えば、ぐちゃぐちゃな)資料は、受講者の集中力を維持させることはできません。


細かいことを言えば、タイトルの形式や文字フォントが統一されていない、用意されているテンプレートをはみ出し、無視して内容が描かれている・・・など、表現に気配りのない「汚い」資料は、人を不快にさせます。


このようなことができるようになるには、それなりの経験を積む必要があります。ただ、学ぶ手立てはいくらでもあります。もっとも効果的な方法は、美しい、かっこいいと感じる他人の資料をまねることです。そのような資料は、ネットにいくらでもあります。そこから自分の感性に合うものを見つけては、まねしてみることです。それが最も手っ取り早い方法でしょう。


物事の本質を追求する。それをそのページのメッセージとする。それを浮かび上がらせる配置や構成を工夫する。資料は、自ずと「美しさ」を放つようになるはずです。


つまり、「美しい資料」とは、受講者に優しいのです。そこには、受講者への愛情があるのです。つまり、「汚い資料」は、受講者への愛情の欠如でもあるのです。自分たちに愛情を持たない講師から話を聞くことは、いやいや養子にされた継母から、説教を聞かされているようなものです。耐えるしかないのです。


3.講義をエンターテイメントにする


先日あるITベンダーの製品説明セミナーに出席しました。そこで、マーケティング部門の製品担当の女性が、製品の概要を説明してくれました。私は、そのひどさにあきれてしまいました。


何がひどかったかなんて、あげればキリがありません。まず、声が小さい、会場に目線を向けず演台の机の上をずっと見ている、抑揚がなく資料の棒読み、資料に書かれている以上の情報が無い、息継ぎのタイミングがおかしい・・・などなど、ほんとうに苦痛でした。


そのセミナーが有償であろうが無償であろうが、お客様に貴重な時間を使って頂いているということの自覚と責任感がないのです。


Presentationと言う言葉があります。pres  præ=前にという接頭辞であり、presentとは現在という意味があります。また、en  esse=be動詞のラテン語です。つまり、人々の「前に」「現在」「在る」から Presentation なのです。平たく言えば、「現在、そこにいることを示す」と解釈することができます。


残念ながら、彼女のPresentationに彼女の存在する意義は感じられませんでした。資料を見れば十分です。つまり、プレゼンテーションの目的を果たしていないのです。


プレゼンテーションも、講義も、これは双方向のエンターテイメントでなくてはなりません。もちろん、それは常に受講者と言葉を交わすという意味ではなく、相手の反応や様子を伺いながら、それにあわせて、話の内容やペース、声の強弱、質問やジョーク、話をする位置、沈黙・・・などを駆使する行為です。


例えば、うとうとしている人が居るとします。そういうときは、その人のそばに立って話をしてみるとか、その人の隣の人に質問します。


少し、難しい話をして、疲れたぁ、といった顔をしている人が多くなってくると、「疲れたでしょ、お気の毒さま」なんて、言ってみたりします。


また、質問を求めてもなかなか出てこない時は、「質問を聞けばその会社の実力が分かりますねぇ」などといい、「じゃあ、この会場で一番実力ある人って、どなたです?」などと会場に問いかけます。すると、特定の人に指先が集まります。そして、お名前を伺い、「じゃあ、吉田さん、あなたが会社の代表に選ばれましたので、会社の実力を証明してください」などといいます。すると、ええ・・・なんて顔をするのですが、案外まともな質問をしてくれるものです。


沈黙も時には必要です。例えば、こちらが調子よくしゃべっているとき、こちらもついつい周りを見失っていることがあります。そういうときは、必ずと言っていいほど、会場の集中力は低下しています。


あっ、いけないと気付くと、その流れを一旦壊さなくてはいけませんので、沈黙をはさむことがあります。すると、受講者は何事かとこちらを向き、一気に集中が戻ります。


特に強調したいメッセージを伝えるときは、その前後で声を小さくし、伝えたいメッセージを大きく、ゆっくりと語ります。そうすれば、何が重要であるかが、自然と相手に伝わります。


すこし、難しい話が続き、緊張感が張り詰めているとき、こんな質問でその空気を壊すことがあります。


「今どきスマホも持っていないなんて、銀座四丁目をスッポンポンで歩いているくらい恥ずかしいことですよ」と。そして、「ところで、この会場には、そんな人は居ないですよね・・・念のため、持っていない人、手を上げて頂けませんか?」なんて言ってみます。すると、何人か手を上げます。ワッと笑いが巻き起こります。


・・・などなど、あげればキリはありませんが、こういう双方向の関係を演出することこそ、講師の存在意義であり、受講者に時間の対価を頂くことへの責任であると思っています。


もちろん、このような行為は、前節で述べた内容があっての話です。それがなければ、講義の意味がありません。あくまで、これは演出であり、内容を理解して頂くための集中力の維持、心の抵抗の低減、共感の創出のための行為なのです。


「いい講義でした」とご評価頂くためには、内容と演出の相乗効果が必要です。内容だけであれば、だれがやっても一緒であれば、この世界でお金をもらうことはできません。


また、相手との対話を忘れなければ、「なんか違うぞ」という空気を感じ取ることもできます。その時には、講義の内容の力点を変えることや、時間配分を変える、あるいは、別の資料を使って別の話をする、などということも可能になります。


このような対話こそ、講演というパフォーマンスをエンターテイメントにするための基本と言えるでしょう。


「既に知っている話で新鮮みがなく、あまり参考にはなりませんでした。」という、冒頭のコメントは、現場を感じることを怠り、対話を怠った講師の責任です。また、作った資料も、こちらとしては、メッセージを絞ったものだと思っていたのですが、相手の知りたいことではなく、この程度で十分だろうという、自分の経験にあぐらをかいた独りよがりだったと言うべきでしょう。高慢なのです。



すみません、長い文章になってしまいました m(_ _)m 


正直に申し上げれば、こんなコメントを頂いたことは、私にはかなりショックでした。だから、あらためて原点に立ち返りたかった、というべきかもしれません。そんな私事にお付き合いさせてしまい、申し訳ありません。


いつも、ここに掲げたようにできているわけではありません。だからこそ、先の手厳しいコメントを頂戴したわけです。自戒を込めて、書かせて頂きました。


これを他山の石として、皆さんのお役に立てて頂ければと願っています。


それでは、皆様、良いお年をお迎えください。


■募集開始■ 第12期 ITソリューション塾 ■


「自社製品の知識はありますが、世の中の常識となると、うまく説明できません。」

このようなことで、お客様の信頼を手にすることはできません。

  • クラウドと仮想化の違いが説明できません
  • ERPは知ってるけれど、BPR,BPR,SOAとの関係は説明できません
  • HTML5とスマホやクラウドの関係は説明できません


世の中の常識に自社の製品はどう位置付けられるのでしょうか、あなたの提案は、世の中の常識からから見て妥当なのでしょうか・・・


プロとして自信を持つこと、そのための取り組みです。


2013年2月6日から4月17日までの全10回、毎週水曜日の夜に開催します。これまでも、多くのSIerやITベンダーの皆さんにご参加頂きました。また、ユーザー企業の情報システム部門からもご参加いただきました。


詳しくは、こちらをご覧ください。


なお、会場の制約上すぐに満席となりますので、もし未決定ながらご意向がある方は、こちらにお知らせください



参加者募集■ 2013年1月22日(火) 企業の変革をITで実現する大会議 ■


ユーザー企業の変革の流れを感じて、どう動くか? 


そんなことを本気で考えるIT企業の「イノベーター」たちのための大会議です。 


2012年7月5日。ユーザー企業、IT企業のビジネスパーソン 100名が集まって両者の接点である『IT』の活用を進めていくために、それぞれの立場でどのようにあるべきかを3時間議論し続けました。そして、参加者の心の中で課題が明確になりました。 


そして、2013年1月21日。ユーザー企業のCIO、情報システム部門、その他ITユーザー部門の方々が集まって、「ユーザー」としてどのようにイノベーションに取り組んでいくかを大会議を開催します。


---> ユーザー企業側の方はこちらからお申し込みください。


その議論した結果を受けて、翌日のこの1月22日にその変革の意識にITを提供する側として、どのような姿勢で向き合っていくかを大会議で議論しています。


IT企業の皆さん、是非ご参加ください m(_ _)m 


詳しくは、こちらをご覧ください。


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※このエントリはZDNetブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および ZDNet編集部の見解・意向を示すものではありません。

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