学校におけるオープンソースを考える――「インターネットの自由」の重要性

opensource 2007-09-03 13:09:14

 WindowsもMacも成功を収められていない分野で、オープンソースが勝ちをさらう可能性はあるだろうか。

 幼稚園から高校3年生までの教育現場の話である。eSchoolsの調査報告によれば、同分野におけるオープンソースに対する支出は年に70%成長しており、2011年までには2006年と比較して800%増になると予測されているという。

 それでも、どうしても過去の失敗を思い出して、冒頭のような心配をしてしまう。わたしは今のコンピュータ革命期に2人の子供を育てたが、彼らがPCやネットワークを家庭で使えなければ、コンピュータを扱えるようにはならなかっただろう。

 1990年代には教育用ソフトウェアに振り回された教育機関は現在、インターネットエクスペリエンスを「去勢」し、25年前とは比べものにならないほどテクノロジーを受け入れている教師を牽制しようと、検閲ソフトウェアの導入に躍起になっている。

 こうした現状をオープンソースがどう変えていけるのか、先を見通すのは難しい。子供たちが中国以上に検閲の厳しい環境にいるなら、リソースへの自由なアクセスなどたいした価値はないからだ。

 インターネットが子供たちに悪影響をおよぼすという恐怖と、豊かな家の子もいれば貧しい家の子もいるという現実から、教師たちはインターネットの使用に二の足を踏んでいる。わたしには高校2年生の息子がいるが、科学雑誌の記事に注釈をつける毎週の宿題では、インターネットを使用しないよう厳しく言われているそうだ。

 今日では、すぐれた学術雑誌記事の大半がオンラインで読めるからである。そうした雑誌の記者たちが力を合わせ、第一級の高校科学課程を無料で公開したなら、宝の山になるのにと残念に思う。

 公共図書館には科学ジャーナルの刊行物があまり置かれていないので、息子のクラスメイトたちは「National Geographic」ばかり読んでいるようだ。National Geographicは悪い雑誌ではないが、科学者の研究を大衆化した内容がほとんどだし、文章も一般受けするわかりやすいスタイルで書かれている。本物の科学は、それよりもっと深く、肉厚で、固いものだ。

 一握りの非常に頭のよい子たちであっても、そうした本物に触れるのは大学にはいるまで待たなければならない。そう考えると、インターネットの自由を伴わないフリーソフトウェアとは、なんとも無意味な存在だと言える。

(Dana Blankenhorn)

※このエントリはZDNetブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および ZDNet編集部の見解・意向を示すものではありません。

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