樫尾忠雄

用語の解説

樫尾忠雄とは

(カシオタダオ)
樫尾忠雄とは、カシオ計算機株式会社の創業メンバーのひとりである。
1917年(大正6年)、高知県生まれ。 国内電子機器業界ではあまりに有名な「樫尾四兄弟」の長兄として、創業当初からカシオを牽引してきた人物として知られている。 樫尾忠雄5歳の頃、樫尾家は、東京で働いていた叔父に誘われて一家で上京した。 忠雄は高等小学校を卒業したのち、家計を助けるために見習いの旋盤工として働き始める。 そこで腕の良さが認められ、工場主の勧めもあって、働くかたわら早稲田工手学校(現在、早稲田大学)に通学するようになる。 早稲田で修めた技術と知識をもとに、軍需工場などの職場を幾つか経験し、鍋、釜、自転車の発電ランプなどの作製を営んでいた。 そのうちに、卓越した技能と創造性が評判となって、周囲にすっかり知れ渡るようになる。 ※画像提供 / カシオ計算機株式会社 やがて部品加工の下請けを多く頼まれるようになった樫尾忠雄は、1946年、東京都三鷹市に「樫尾製作所」を創業、精密機械の加工業として独立自営を始める。 当初は精密機械の加工を営み、後に弟の俊雄の発案で電気式計算機の開発に取り組み始める。 1957年6月に完成して商品化された小型電子計算機「カシオ14-A型」は、リレー素子を採用した、純粋に電子的な計算処理をする世界初の量産型計算機だった。 社名は14-A型計算機の発売に際して現在のカシオ計算機と改名され、株式会社に改組して、全国販売を展開した。 樫尾四兄弟は、主に長兄・忠雄が財務担当、次兄・俊雄が開発担当、三男・和雄を営業担当とし、四男・幸雄を生産担当として、カシオを運営していった。 電子計算機の後も、電卓、デジタルウオッチ、電子楽器、ポケットテレビ、液晶モニター付きデジタルカメラなど、画期的な製品を素早く、なおかつ低価格で発表し、消費者のニーズに応え、瞬く間に急成長をとげた。 樫尾忠雄は1988年に社長から相設役へと退いた。 そして1993年、逝去した。

用語解説出典   powered by. Weblio

ZDNET Japan クイックポール

注目している大規模言語モデル(LLM)を教えてください

NEWSLETTERS

エンタープライズ・コンピューティングの最前線を配信

ZDNET Japanは、CIOとITマネージャーを対象に、ビジネス課題の解決とITを活用した新たな価値創造を支援します。
ITビジネス全般については、CNET Japanをご覧ください。

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。 これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。
Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。
[ 閉じる ]