壁に耳あり障子に目ありは本当だった!?江戸時代にスパイとして使われていたヒヨコの実態。

株式会社ソーシャルキャピタル・プロダクション

From: PR TIMES

2017-03-31 18:43

動物を操り、江戸の平和を守ったその戦略とは。

江戸時代に忍者を引き連れ、徳川家康が命拾いをした伊賀越えでも有名な「服部半蔵」。250年間に渡り江戸の町が守られた秘訣とは。判明したのは、ヒヨコの習性を巧みに利用した戦略。現代における新しいヒヨコの活躍が期待される。



忍者と言われると真っ先に思い浮かぶのが、夜に溶け込むような色合いの忍び装束と手裏剣。忍術を使い、高い運動能力で屋根裏を走り回り、いざという時に陰から敵を討ち取る怪しく危険なイメージを持つ方が多いのではないだろうか。
実際の江戸時代の忍者は、敵の情報を得るために存在する、いわば「スパイ」のような存在として活躍していた。そこで有名なのが、徳川家康が命拾いをした伊賀越えで名誉を上げた服部半蔵である。

[画像1: (リンク ») ]


当時300人もの忍者を束ねていたという服部半蔵、一体どのように忍者たちを操っていたのだろうか。


近年、ある古記録から新しい事実が判明した。実のところ、忍者は何も人間だけとは限らず、江戸時代によく使われていたのは何と「ヒヨコ」であったという。意外にもヒヨコの特性を活かした巧みな戦略に、多くの歴史研究家は衝撃を受けている。

古記録に記されていたのは、当時と約300人の忍者のうちプロの人間忍者は10人。身体能力が高く、頭もキレる者が揃っていたという。一方で残りの290人の正体は、なんとヒヨコであったのだ。彼らは人間の忍者には劣らないほどの能力を持ち、江戸の町を駆け巡っていたと記されている。

[画像2: (リンク ») ]


そのヒヨコ忍者はそれぞれ常に一羽で行動し、江戸時代の広大な敷地内の情報を網羅していた。時には壁の隙間から、時には障子の破れ目から、街の人々のあらゆる情報を知り尽くしていた。

なぜ、ヒヨコ忍者がこれだけいたのにも関わらず一匹も捕獲されなかったのか。そこには、ヒヨコ忍者ならではの哲学があった。

夫婦喧嘩をしているところには、普通のヒヨコとして登場し、場を和ませた。商売がなかなか繁盛しない店には、看板ヒヨコのように振る舞い、お客を集めた。

そう、ヒヨコ忍者は、スパイでありながら、町の人々にも愛される存在だったのだ。機密情報を握る代わりに、その人のフォローも欠かさない。あくまでも町の人々の幸福を願うヒヨコ忍者だからこそ、多くの危険を乗り越えて江戸の平和を守り抜いた。


そしてなんと現在、ヒヨコ忍者の末裔が半蔵門にいるという。そして今もなお、町中の人々に愛されながら、ちゃっかりと情報収集をこなし続けている。

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そのヒヨコが42代目ヒヨコ忍者「ぴよ蔵」である。今もなお忍者の哲学を守り、彼が町の人々と触れ合う姿は、もはや半蔵門の名物となっている。ぴよ蔵の様子は、下記のHPやFacebookページで記録されている。500年後、この記録が未来の人類に発見される日が来るかもしれない。
[動画: (リンク ») ]





半蔵門あるまっぷHP
(リンク »)
半蔵門あるまっぷFacebookページ
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