コロンビア大学医学部 北本匠研究員(千葉大学大学院医学研究院特任助教:現在留学中)、Domenico Accili教授、千葉大学大学院医学研究院 金田篤志教授、岡部篤史助教らの研究チームは、最新技術を駆使し、健康状態及び糖尿病状態で糖代謝制御において重要な役割を持つ転写因子FoxO1(注1)がゲノムに働きかける全体像を、特に糖・脂質代謝の観点から明らかにしました。全ゲノムレベルでインスリンシグナル(注2)による糖と脂質代謝の制御機構の違いが明らかとなったのは世界で初めてです。動物モデルの作成及び、全ゲノム情報の網羅的解析技術を駆使することで、糖尿病で問題となる糖代謝特有の制御領域を特定し、病気によりゲノム上に生じる変化が明らかになりました。
この成果により、インスリンの仕組みを応用した今までにない作用機序の薬剤である「選択的インスリン感受性改善薬」という新たな治療法の確立につながることが期待されます。
本研究成果は、科学誌「米国科学アカデミー紀要」にて2021年11月4日(日本時間)にオンライン公開されました。
研究の背景
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糖尿病は慢性的な高血糖を主な症状とする代謝疾患群です。血糖値は膵臓から出るインスリンが全身に作用し維持されますが、中でも肝臓への作用は最も重要であると認識されています。インスリンが肝臓の細胞表面に到達すると、その信号は細胞内に伝わり、転写因子を通じて核内に入り、全遺伝情報が描かれているゲノムへと渡されます (図1)。
健康な状態では、インスリンは転写因子FoxO1を核内から追い出すことで機能しますが、インスリンの信号伝達が障害され高血糖の状態に至るとき、FoxO1は核内に留まり続けることが観察されていました。2008年から2012年の間には複数の研究室から、肝臓のFoxO1を欠損させると高血糖状態を改善できることが報告され、インスリンによる肝臓での糖代謝制御はFoxO1により決定されていることが分かりました。
しかし、技術的な問題からFoxO1がどのようにゲノム上の遺伝子群へ働きかけているのかは未解明であり、これまでの重要な発見を糖尿病患者の治療へと繋げる上での大きな障壁となっていました。
研究の成果
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研究チームは、以下1.~4.の成果をもとに、肝臓のFoxO1がゲノムに働きかける様子を明らかにしました。
1.FoxO1は生体内において摂食時や絶食時といった栄養状態の変化に鋭敏に反応し働いている
作成した動物モデルにより、FoxO1は摂食、絶食といった栄養状態の変化に応じ約6000箇所のゲノムへの結合を鋭敏に切り替えることが分かりました。
2.インスリンの多様な機能は、核内において異なるゲノム領域を介して行われている
インスリンが担う主な機能には、糖・脂質代謝以外に細胞の生命維持という重要なものもあります。FoxO1の標的となる遺伝子群の全体像が明かされる中で、こうした機能がプロモーター(注3)やエンハンサー(注4)などゲノム上の異なる領域を通して制御されていることが判明しました(図2)。
3.PPARα はFoxO1の糖代謝制御を補っている
FoxO1と同じ条件で核内に存在する複数の転写因子を同じ技術により比較解析していったところ、半数以上の標的遺伝子をPPARα(注5)と共有していることがわかりました。共有部位は糖代謝に関わる遺伝子によく見られ、両者の共通標的が糖代謝を制御する上で重要な遺伝子群であると考えられました。
4.インスリン抵抗性状態(糖尿病の状態)によりFoxO1は糖・脂質代謝に関わる遺伝子群への働きかけが一段と強くなる
インスリンが効きにくくなるインスリン抵抗性という状態がFoxO1にどのような変化をもたらすか観察したところ、FoxO1は健康な状態で確認された栄養状態の変化への鋭敏な反応を失うことが分かりました。さらにFoxO1はその絶対量を増やし、2.で確認された糖と脂質代謝特異的なエンハンサー領域へ特に集まっていることが明らかになりました。この領域が糖尿病による代謝障害の原因と想定される場所であり、糖尿病治療薬の開発に繋げる上で重要な標的になると考えられます。
研究者のコメント(コロンビア大学医学部 北本匠研究員)
インスリンという偉大な発見から今年でちょうど100年が経ちました。インスリン治療は数えきれない糖尿病患者の命を救ってきました。しかし、インスリンには血糖値を下げる一方で脂肪を溜め込む作用があります。この作用は特に糖尿病患者で強く、時に治療により肥満を助長してしまうという問題点を抱えています。この解決には、インスリンが糖代謝と脂肪合成に作用する仕組みの違いを解き明かすべく生命の設計図であるゲノムに目を向け、両者の違いを明らかにする必要がありました。そして、その知見を元に糖代謝にのみ作用する「選択的インスリン感受性改善薬」の開発が求められます。約20年前に発見されたFoxO1の研究成果により、インスリン研究の焦点は細胞表面から核内へと移りました。本研究はこれを治療応用へと進める足掛かりとなるものです。この成果が「選択的インスリン感受性改善薬」の実現に貢献することを願い、引き続き多くの患者の命を守る治療法の開発を目指し研究を継続いたします。
用語解説
(注1)転写因子FoxO1:転写とは、DNAが持つ遺伝情報をRNAに写しとる過程のこと。転写因子は、特定のDNA領域に結合し、転写を起こすタンパク質の一群を言う。FoxO1は転写因子の一種で、肝臓以外にも脳、筋肉、脂肪、膵臓、血管と様々な臓器で働く。代謝機能と共に細胞の基本的な機能である増殖、細胞死、老化、DNAの修復などの調節を行っている。
(注2)インスリンシグナル:膵臓から分泌されるインスリンというホルモンは、代謝調節と共に、細胞の基本的な機能を調節する。インスリンが細胞に到達すると、細胞表面にあるインスリンの受け手 (受容体)を通して、細胞の内部へと信号が伝えられ、多彩な機能を発揮する。この受容体から細胞内部に伝わる一連の信号の流れをいう。
(注3)プロモーター:ゲノムから遺伝子の転写発現が行われる際、転写開始部分として機能する領域のこと。
(注4)エンハンサー:活性化すると周囲の遺伝子に近づき発現量を調節する、細胞の性質を決定づけるゲノム上の領域のこと。
(注5)PPARα:転写因子の一種。脂質代謝に深く関与しており、脂質異常症の薬剤に利用されている。
論文情報
論文タイトル:”An integrative transcriptional logic model of hepatic insulin resistance”
著者:Takumi Kitamoto, Taiyi Kuo, Atsushi Okabe, Atsushi Kaneda, Domenico Accili
雑誌名:Proc Natl Acad Sci USA.
DOI:
研究プロジェクトについて
本研究は、NIH grants RO1DK057539, RO1DK063608の支援を受けて行われました。
プレスリリース提供:PR TIMES (リンク »)
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