「エンタープライズ・アイルランド」なる組織がある。エンタープライズとあるので一見普通の企業の名称なのかと思いきや、政府機関であり、またの名を「アイルランド政府商務庁」という。つまり、アイルランドの輸出振興を図っている組織である。ただエンタープライズ・アイルランドという名称からはアイルランドという国を一つの企業体と捉えて、グローバルにビジネス拡大を図っていこうという強い意志が感じられる。
アイルランドという国
アイルランドという国、私も初めて訪問したのは5年くらい前である。それまでは、イギリスの脇にあるおまけみたいなものだと思っていたので、それほど強い関心を持つことはなかった。強いて言えば、ギネスの国くらいのイメージであった。
しかし、いざ訪問してみると、もちろんギネスの国であることは変わらないのであるが、イギリスのおまけというイメージは完全に払拭される。なぜならば、アイルランドの歴史とはイギリスからの独立の歴史であり、多くの観光名所がそれに関連したストーリーを持っているからである。
また、最近はソフトウェア産業でも異彩を放つ企業が目につくようになってきた。以前からイギリスのソフトウェア会社と取引を行っていると、その開発拠点がアイルランドであったり、あるいはイギリスの会社と会話をしていると思ったら、実は本社はアイルランドだったりということにしばしば遭遇した。また、アイルランドから世界へ向けて展開しているソフトウェア会社も多い。北の小国から、何ゆえに高付加価値のソフトウェアが生まれてくるのだろう?
アイルランドのソフトウェア振興のからくり
エンタープライズ・アイルランドの方から「アイルランドを知れば日本がわかる」という前・駐アイルランド大使である林景一氏の執筆した書籍を頂いた。この本によれば、アイルランドの人口はたかだか400万人程度で、水と人間以外にはほとんど資源がない。ただし、その資源は国内よりもむしろ国外にあるという。
つまり、イギリス占領下において、その苦境から脱するために国外へ流出したアイルランド系人口が、アメリカを中心に現在では7000万人に達するのだという。また、こうした国外のアイルランド系の人々は、その苦難の歴史から本国を支援したいという気持ちが強い。
ソフトウェアのビジネスであれば、北米市場への強いパスを持つことは非常に有効だ。アイルランドで金融系のソフトウェアが多いのも、こうした北米への販売チャネル、そしてイギリスへの距離の近さなどが力を発揮しているように思われる。また、アイルランドは外資系企業への優遇税制を敷いており、MicrosoftやIntelなど大手IT企業がその拠点をアイルランドに保有していることも、産業育成には貢献している。
アイルランドの危うさ
一方で、イギリスのソフトウェア企業の方とアイルランドについて話をしていると「アイルランドのソフトウェア輸出産業は、税制優遇によって成り立っている側面が強い。それゆえに、アイルランドに拠点を構えるソフトウェア企業も多いが、税制はいつ変わることになるか判らない。それゆえに、我々はより市場に近く、インフラが整ったところでビジネスを展開したい」という主旨の発言をした。
これも確かに事実であろう。国の政策変更、あるいはEUの政策などの影響を受けて、産業振興の方針が変わってしまえば、それまでのビジネスの優位性は失われてしまう。
しかし、「エンタープライズ・アイルランド」である。国家として何を重視する必要があるのかを理解し、国家戦略としてソフトウェアビジネスをはじめとする産業振興を行い、その成果を出している国である。先の林景一氏の著作のタイトルにある通り、同じく小資源国である日本も大いに学ぶところがあるだろう。日本も現状に慢心せずに、改めて自国の持つリソースというものを再認識することが重要である。
筆者紹介
飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。