私の名付け娘は最近話をしたり、理解したり、学習したりすることができる年になった。彼女は6歳なのだが、すでにかなりのことをよく理解している。彼女は私よりもたった16歳年下なだけなのに、彼女が経験していることや見ているものは、私とはあまりにも違っている。時代の変化は速いということは知っているが、私は昨晩突然気づかされた。
年の差はそれほど大きくないのに、私と彼女の間の世代間ギャップは大変大きく、これは考えてみればいくらか恐ろしくもある。
- 太陽系の惑星の数は9つだった。
- 「BlackBerry」は果物だったし、「Apple」も果物だった。
- プログラムを読み込むには、カセットテープをセットして20分待つ必要があった。
- インターネットに接続するのにダイアルする必要があった。
- 1Gバイトのハードディスクを使い切るのは無理だった。
長い間、太陽系の惑星の数は9つだったのだが、ある日突然、8つにするか、約20にするか決めることになった。そして、8つが選ばれた。7年間の初等教育を経て、実際問題として私が知っていた世界はなくなってしまった。彼らは、ただ1つの天体を惑星の分類から外しただけなのだが。
「ブラックベリー」あるいは「アップル」と聞いて、果物だと思いこむ人がいても、私は驚かない。しかし、私の中では、これらの言葉は私のモバイルデバイスのことを指している。「1日5皿の野菜と果物を食べよう」とよく言われるが、私は毎日BlackBerryで電話をかけている。これは1皿分にカウントしていいはずだと思うのだが、どうだろうか。
私の最初のコンピュータはCPC-464だった。これは非常に重たいもので、マフィア小説の中に出てくるコンクリートブロックと同じ使い方でもできただろう。これはさすがに10年前のことではないが、私は緑色の単色スクリーンのコンピュータでワープロをしていた人たちのことを覚えている。5インチのフロッピーディスクの出現は、それ自体が小さな革命のように思われたものだ。
コンピュータはインターネットに常に繋がっていたわけではない。情報をやりとりするためには他のコンピュータにダイアルする必要があり、それは基本的にコンピュータ間の電話だった。だがもっと不思議なのは、今でもこのやり方を利用できることかもしれない。
私が1996年のクリスマスに、家族のために買った最初のコンピュータには(そう、OSはWindows 95だった)64Mバイトのメモリと、1Gバイトのストレージが搭載されていた。私の父は、「これを使い切ることなど絶対にできないだろう」と言ったものだ。