TechCrunchの「"Web 2.0"という言葉は死んだ」という記事は、Google Trendsのデータを利用することで、"Web 2.0"が死んだ、あるいは死にかかっていることを説明している。確かに、今更"Web 2.0"を正面から議論するのはちょっと恥ずかしい気もする。
"Web 2.0"は死んだという議論
Google Trendsは、検索頻度によって特定のキーワードへの注目度合いをグラフ化してくれるものである。それによると、2004年に初めて登場した"Web 2.0"は2005年半ばに急速な立ち上がりを見せ、2007年をピークとして2008年を通して緩やかな下降線を辿る。"Web 2.0"ほどのバズワードになると、過去に何度か「死んだ」という議論を見た記憶もあるが、かなりの長寿ワードだと思う。
それでも、TechCrunchの記事では、今のペースで行くと2011年には"Web 2.0"を検索する人はほとんどいなくなると予測する。また、地域で見ると、インドを含むアジア圏の各国、そしてロシアなどが上位に顔を覗かせている。"Web 2.0"という概念も、米国から始まって新興国へと急速に広まっていったということだろう。
"Web 2.0"という概念も死んだか
"Web 2.0"という言葉は、一時は必ず使っておかないといけないくらいのキーワードにまでなり、その一部分である「2.0」がこれまでと全く異なるパラダイムを表す用語として、「Enterprise 2.0」のような使われ方もしたものである。こうした使い方も最近は結構恥ずかしい。
しかし、"Web 2.0"という用語そのものはもはや死語だとしても、その言葉によって提唱された概念が死んだという訳ではない。むしろそれは実体をもつものとして咀嚼・吸収されたと見るのが正しいだろう。GoogleやAmazonを始めとする所謂Web 2.0系の企業の成功と、メディアとしてのブログの定着など、ここ数年に起きてきた新しい動きは"Web 2.0"の概念によって説明されてきた。
改めて求められる知の連携
ところで、今の不況下で、各国の政策が保護主義に傾き、日本がその影響を強く受けていることはご存知の通りである。"Web 2.0"という言葉と同じようにここ数年良く使われてきた「グローバリゼーション」という言葉がある。トーマス・フリードマンは、グローバリゼーションは企業へ、そして個人へと大きく影響を及ぼすことを予見したが、不況によってそれはもう一段階手前の国家レベル壁によって阻まれることとなった。
現在、人もお金もモノも流れが悪くなってきているが、そうした状況に捉われずに流通させることが出来るのが情報でありナレッジであろう。"Web 2.0"というキーワードは、この不況よりも前に発明された言葉であり、この言葉を改めて使うことには抵抗を感じるが、そこで提唱された概念は「グローバリゼーション」のように逆流させることは難しいだろう。なぜならその主役は国家や企業ではなく、最初から個人だからである。今の不況下、国の政策と企業救済の議論が活発だが、復活のヒントは個人レベルにあるのではないだろうか。