みなさんこんにちは! マイ・カウンセラーの田代です。不安や悩みを自己解決するメンタルテクニック。世の中の仕組みを理解すると自分の心の持ちようがわかります。そうすると、「こんなことでくよくよしても仕方ない」と冷静になれ、不安や悩みの自己解決への道筋ができてくるのです。
さて、前回は、世の中がデジタルからアナログへ、キカイはもっと人に優しくなるというお話をしました。その最前線がロボットだと。そのように技術が革新していく時、世の中を変えていく時に絶対的に必要なことが「想像力」と「創造力」です。口に出してしまえば同じ音ですが、英語で言うと「Imagination」と「Creativity」になります。
いままでの多大なる発明の数々も想像力と創造力のたまものです。もちろん偶然によって発見、発明されたものもありますが、多くは理想を想像することから始まりました。「鳥のように空が飛べるといいな」と想像することから飛行機が生まれ、「馬よりも早く走れて自由に操れる乗り物があるといいな」と想像することから自動車が生まれたのです。
「〜だったらいいな」、「〜したらどうなるだろう?」という想像力は、目標を生み出してくれます。いや、「夢」といってもいいでしょう。その夢に向かって、人類は前進しているとも言えます。それら人類の夢が、個人個人の夢に細分化されて降りてくる。その個人個人が個々に夢を見ることが社会では大切だと思います。
しかし、最近は、どうもその夢が見られない、夢を語れない人が多いように感じます。昔はマイホームを持つということが夢だった時代もありました。実際、20年ほど前、私がニューヨークのとある学校に通っていた時に、日本の電器メーカーから派遣されていた日本人ビジネスマンがアメリカ人教師に「あなたの夢は?」と尋ねられ、「マイホームを持つことです」と答えていました。もちろん彼は所有欲というより、マイホーム含めた幸せな家庭を作ることが夢だったのでしょう。そう考えると、ほのぼのとした情感がわいてきます。
もちろん現在でもそういった夢をお持ちの方も多いと思います。しかし今、夢を語れる人が少ないと思うのです。夢を見られない、語れないという社会。これは何が原因なのでしょうか? 確かに20年前はバブルの絶頂期でした。皆、夢が叶うと前向きに生活していた時代でした。最近は子供の数も減り、日本人の総数も減ってきています。また、理系に進む子供の数が減っているとの調査結果もあり、ますます世の中を変えていく原動力としての頭脳が減っているという向かい風も吹いています。
しかし、今以上に平和になり、皆が幸せを感じられる世の中にしたいとも思いますよね。そのために必要なことは、やはり技術革新なのです。それが原動力になります。みなさんもご存じのとおり、現在、電気自動車の開発が進められています。この電気自動車も最先端の技術の塊です。排気ガスを出さない自動車があればどんなにすばらしいだろう。街を走るすべての車が、地上いっぱいに降り注ぐ太陽光で発電して、その電気を原動力に走るとどれだけ空気がきれいになるだろう。
そういった想像する力が目標を生み、技術革新を促します。
20世紀中の開発は無理だと言われていた青色発光ダイオードの開発者である中村修二氏は、数年前「青色さえそろえば白色ができ、白色ができればそれは明かりになる。省電力の発光ダイオードを使用した明かりができれば、昼間に太陽光で発電した電気を蓄電し、それを夜使うこともできる。そうすれば砂漠の真ん中にも照明ができるし、電線をいっさい張らずにあらゆるところに照明が灯せるんだ」と熱く語っていました。
世界には、まだまだ電気照明のない地域が数多く存在しています。一説によるとまだ20億もの人々がそういう境遇にいるそうです。日本でも、昔は蛍の光で勉強をしたという逸話が残っていますが、現代社会でも世界を見渡せば、そんな地域があるのです。この現状を変え、誰もが夜、明るい照明の下で本を読める世の中にしたいという夢。これこそが世の中を変える発明であり、発見を導き出したともいえます。
技術者が夢を見て自分の力で開発する。そんな夢を見る子供たちが増え、豊かな未来を築いていく。これは、数十年も前から言われてきたことです。現代社会は豊かだと言われますが、まだまだ変えていくべきことは数多く残っています。貧困国と先進国などの地域の格差も依然残っていますし、解決には時間もお金もかかります。そういう現実を変えていくには、数多くの頭脳が必要なのです。
夢を見る想像力とそれを実現していく創造力。この2つの力が、今こそ求められています。私たちにできることは、まず夢を見ること。どんな小さなことでもかまいません。その夢が、きっと私たちが前進する原動力になると思うのです。
筆者紹介
田代真人
マイ・カウンセラー 代表取締役。九州大学工学部機械工学科卒業後、朝日新聞社を経て学習研究社へ。ファッション女性誌「ル・クール」編集者の後、主婦向け実用雑誌 「おはよう奥さん」の創刊メンバーとして、主婦の悩みを解決する「悩み相談センター」を開設する。その後ダイヤモンド社へ移籍し、「ダイヤモンド・ブレイク!」「ビットビジネス」など数々の雑誌を編集長として創刊した後、ビジネス開発本部副部長に就任。2006年、これまでの編集経験から「人々の悩みを解決したい」との思いに至り、マイ・カウンセラーを設立。2007年ダイヤモンド社を退社し、メディアプロデュース業のメディア・ナレッジを創業すると共に、マイ・カウンセラーの代表取締役に就任する。
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