[CNET Japanで江島さんの英語譚](http://japan.cnet.com/blog/kenn/2008/11/10/entry_27017805/]を、そうだそうだ、と読んでいるうち、自分にはまた自分なりの英語の苦労があるなと思い書き始めてしまった。自分は2回に分けて都合4年間イギリスに住んでいたのだが、結局英語が出来るようになった感じはしない。なぜなら、やっぱり聞き取れないことも多いし、話したい言葉が出てこないことも日常茶飯事だからである。
最初2年暮らして帰国したときなど、周りは喋れると思っているだけに、かえってプレッシャーが強くて英語恐怖症のような感じであった。しかし、二度目に渡英したときは、最早成長曲線は極めて緩やかにしか伸びていないと割り切って、英語そのものよりも、英語が完璧ではないなかで生き延びる術を身につけることに腐心したものである。
ルーツはインド英語
それにしても、同じ英語でも随分訛りがいろいろあるもので、何で俺の言っていること判ってくれないのに、あのインド訛りは皆わかるのかね、などと思う。ところが、実は自分の英語もインド英語にその起源があることを思い出した。
最初にイギリスへ行ったとき、顧客はほとんど日本人だったし、当然日本語で応対することを期待されていたので、仕事の8割以上は日本語だけでこなすことが出来た。唯一、しっかり英語を使わないといけなかったのは、ムンバイ出身のサミール君との開発作業だけだった。私が設計書を書いて、サミール君がプログラミングする。彼はプログラムの美しさにこだわりがあり、顧客の我侭を伝えても納得するまで修正はしてくれない。当然、喧々諤々の議論をしなくてはならない。
そんな2年間を過ごして、いよいよ帰国となったとき、イギリス人の別れの挨拶は何言ってるのだかさっぱりわからなかったが、サミール君の言っていることは良く理解できたことを覚えている。それから10年。先日インド人の結婚式に出席したのだが、そこに集う欧米人の英語はいまひとつ判らなかったが、インド人の言ってることが良く判る自分がいたのである。