筆者は、事業部門や技術的な部門で20年間にわたってさまざまな役職に就いてきた経験から、「すべてが重要だと言うなら、その中に重要なものはない」という言葉は正しいと考えている。多くの意思決定者は、優先順位を付けること(つまり顧客や従業員のニーズや期待と、各事業部門が現実的に何を達成できるかを正確に把握すること)に苦心している。今や市場の競争は極めて激しくなっており、直ちにやるべきことと、後回しにできることのトレードオフが、成功と失敗を分ける可能性があるためだ。
特に、企業の競争力を維持するためには、デジタル変革を先延ばしにすべきではない。それが、Salesforceが新たに発表したレポート「Enterprise Technology Trends」の要点だ。
Salesforceの研究者らは、世界のITリーダーが、自社の戦略やスキルセット、将来の展望を考えたときに、10の重要な課題に対してどのように優先順位を付けるかを調べた。調査では、ITリーダーが顧客体験の向上やセキュリティ、システム統合、従業員体験、モバイルを重視していることが明らかになった。どれももっともな選択だ。これらはみな、今日の企業の技術戦略においては非常に重要な課題ばかりであり、正しく取り組めば、顧客や従業員、投資家などにとっての企業の魅力を高めてくれるだろう。
しかし筆者の意見では、レポートではITリーダーに優先順位が低いと判断された人工知能(AI)や音声技術、ブロックチェーン、開発体験、従業員の学習とスキル開発といったテーマを見ていく方が、分かることが多い。69%の人々が新技術は自分たちの生活を根本的に変えつつあると考えており、顧客の半数が革新的な企業の製品を積極的に購入したいと述べていることを考えれば、競争力を維持しながら、これらの課題をどれだけ後回しにできるかは疑問だ。
1.人工知能:ビジネスのルールを変える技術
今では、生活のあらゆる場面にAIが入り込んでいる。これは、何百もの業界の一流企業がAIの力を利用しているためだ。例えば銀行では、企業の財務を記録した無数のスプレッドシートを瞬時に分析して、不正を検知しているし、コールセンターではチャットボットを導入して顧客とのやりとりを強化している。調査によれば、AIを専門とするスタートアップに対する投資額は、2016年から2018年までで3倍になった。
AIはビジネスプロセスの効率化や、複雑な問題の解決、顧客の行動の予測などにも使われている。しかし、Salesforceのレポートが明らかにしているように、現時点ではAIに高い優先順位を与えているITリーダーは37%しかおらず、AI戦略を完全に策定済みなのは7%に過ぎない。実際、回答者の半数以上(53%)は、AI戦略はまったく策定されていないと答えている。
一部のITリーダーが、人間による手動の入力なしで不正を検知するなどの用途に関心を持っていることは明らかだ。しかし、AIの機能を「あれば嬉しい」ような分野にしか利用しないのであれば、フロントオフィスの課題の解決に比べて緊急性が高いとは言えない。一方で顧客は、個人に合わせたレコメンデーションや、自動的なオーダーの処理といったAIを利用した機能を期待するようになってきており、顧客が企業を評価する際の基準は厳しくなっている。AIを用いた体験は「あれば嬉しい」ものではなく、顧客中心の体験を生み出すための新たな規範になったと言っていい。
すでにAIを導入済みかどうかに関わらず、回答者の83%はAIが顧客エンゲージメントを変えると考えており、69%はビジネス全体を変えると答えている。
レポートでは、2年後にはAIの導入率が95%に達すると予想している。一言で言えば、AIはビジネスのルールを変えつつあり、後れを取りたくなければ、各業界や労働環境におけるあらゆる要素が影響を受ける世界に今から備えておく必要があるということだ。
AIの導入率は今後2年間で95%まで増加する。
提供:Salesforce
2.音声技術とチャットボット:影響はあらゆる業界に
Salesforceの調査で明らかになったとおり、多くのITリーダーは、成長と顧客の維持に必要不可欠な要素として、顧客体験を改善する取り組みを重視している。AIを利用した音声技術は、このアプローチを支えるための強力な道具だ。「Siri」のようなインテリジェントなアシスタントや、「Alexa」を利用した「Amazon Echo」のような製品を利用すれば、顧客はモバイルデバイスやブラウザ、チャットプラットフォームなどから簡単に食料品や日用品を注文できるようになる。
またカスタマーサービスを提供している事業者は、パスワードの変更といった簡単な作業の受け付けに、音声認識を使ったAIチャットボットを利用している。これによって、カスタマーサポート部門の人手に余裕ができ、より複雑な問い合わせに力を割けるようになる。音声技術は、在庫管理や顧客関係管理といったバックエンドのITシステムに組み込むこともできる。会話機能を備えたCRMプラットフォームやデジタルアシスタントは、営業担当者が素早く電話番号を見つけたり、人事部門による新規採用者の戦力化を早めたりするのに役立つ。
音声技術が与える影響は大きくなっているが、この技術を重視しているITリーダーはわずか22%であり、音声技術に関する戦略の策定を終えているのは14%に過ぎない。
これは企業にとって潜在的な課題になり得る。顧客が音声で企業とやりとりすることに慣れてくれば、あらゆるデジタル的なやりとりに音声を利用したいと考えるようになるはずだ。このことはSalesforceの調査でも強調されていおり、顧客の58%が音声アシスタント技術は企業に対する期待を大きく変えつつあると述べている。また、すでに顧客の23%は、音声技術を利用した企業とのやりとりを好むようになっている。
他にも差し迫った課題が多くあるため、音声技術の優先順位は低くなってしまっているが、音声技術が2年以内にビジネスプロセスにおいて重要な役割を果たすようになると予想しているITリーダーが68%もいることを考えれば、その重要性は十分に理解されていると言えるだろう。
また、顧客とのやりとりへの音声技術の導入事例が2年間で139%増加すると予想されている一方で、社内での利用事例も急激に拡大すると見られており、従業員が利用する音声技術の導入事例は、2年間で232%増えるという。
顧客向けの音声技術は2年間で139%増加すると予想される一方、従業員向けの音声技術は232%増加すると考えられている。
提供:Salesforce
近い将来、顧客や従業員は、どんな業界でも企業とのやりとりに音声インターフェースが使えることを期待するようになるだろう。筆者は、音声インターフェースの導入は今や重要な差別化要因の1つになっており、今後は必要不可欠になると考えている。
3.ブロックチェーン:新たなサービスによってビジネスに付加価値をもたらす
Salesforceのレポートによれば、ほかの多くの課題に埋もれたためか、現時点でブロックチェーン技術を重視しているITリーダーは全体の10%に過ぎない。ブロックチェーンの実用化にはさまざまな課題があるとされており、その中には組織にその価値を証明することや、適切な用途を見つけることも含まれている。
ただし、調査対象のITリーダーのうち半数は、今後2年間でブロックチェーン技術に対する投資を増やす予定だと述べている。その理由は、ブロックチェーン技術はまだ萌芽期にあるが、データの回復力の確保やパートナーシップなど、数多くの取り組みに利用できる大きな潜在的可能性を秘めているためだ。
この技術では、デジタル台帳はパブリックなネットワークやプライベートなネットワークに置かれた複数のコンピュータに保管されており、個々のネットワークユーザーがブロックチェーンに記録されたデータを変更したり、削除したりすることはできない。データは、自動化された共通のガバナンスプロトコルを使って、すべてのユーザーによって検証・管理される。このインフラでは、ネットワーク上で共有されているどんなデータにも、ネットワークの正規のメンバーしかアクセスできない。また、更新プロセスは改ざん不可能で、透明性が確保されている。そのため、ブロックチェーンのネットワークでは安全にトランザクションを行うことができる。トランザクションの対象には、株や債券、航空会社のマイルなどさまざまなものが考えられる。
ブロックチェーン技術を使えば、通常であれば信頼できる第三者(例えば銀行、法律家など)が必要な場面でも仲介者なしでトランザクションを行うことが可能になるため、時間と費用を節約できる。同時に、この技術は多くの場面で企業のバックエンド業務を効率化できる可能性がある。これは、これまで企業がほかの組織と共同で作業を行う場合、台帳の管理は各企業で重複して行うことが多かったが、それを省くことができるためだ。
皮肉なことだが、ブロックチェーンの最大のメリットは、ITリーダーがもっとも重視している2つの課題である、顧客体験とセキュリティの問題を解決できる可能性があるということだろう。ブロックチェーンの分散台帳技術は、これまでにはなかった認証の仕組みを提供しながら、顧客との新たな関わり方を実現することもできるため、ITのセキュリティに革命を起こす可能性を持っている。これが重要なことであるのは、ITリーダーの56%が、セキュリティの保護が顧客体験を損ねていると答えていることでも分かる。
Gartnerは、企業へのブロックチェーンの導入は今後急激に増えると見ており、2025年までには1760億ドル相当の事業価値を生み出し、2030年までにはその規模が3兆1000億ドルに達すると予想している。金融サービスやヘルスケア業界、音楽業界、サプライチェーン、行政部門など、さまざまな領域に向けた新たなサービスが検討されているため、今のうちにそのチャンスに向けて取り組みを始めておくべきだ。そのためには、まずは社内に対してブロックチェーンの持つ事業価値を示しつつ、それぞれの組織におけるブロックチェーンの具体的な役割を明確にしていく必要がある。
ブロックチェーン導入に向けての課題
提供:Salesforce
4.開発体験:必要性が高まっているリソースへのパイプラインを作る
今日のITリーダーは難しい判断を迫られている。技術的な変化が非常に速く、予算のサイクルごとに、さらに多くのことを求められるようになっているためだ。IT部門は、レガシーなアプリケーションやシステムを維持しながら、主にクラウドベースの新たなプラットフォームや技術を次々と導入し、同時にセキュリティ、信頼性、 スケーラビリティも改善していかなくてはならない。
そのプレッシャーは過酷だ。例えば、Salesforceのレポートでは、ローコード開発やノーコード開発のツールの導入率は、今後2年間で156%増加すると予想されている。また、同時期のサーバーレスコンピューティングの導入率も58%増加するという。
必要なスキルセットがかつてないペースで変化していることを考えれば、ITリーダーは当然、より多くの開発人材を呼び込み、引き留めておくための取り組みを進めるべきだろう。ところが、Salesforceの調査によれば、開発体験を重視しているITリーダーは19%に過ぎない。
ローコード開発・ノーコード開発ツールの導入率
提供:Salesforce
もちろん、既存のシステムを運用するだけで手一杯の状況では、こうした課題に効果的に対応することは難しいだろう。調査では、ITリーダーの72%が、積み残しのプロジェクトに対応する必要があるため、戦略的な取り組みに着手できずにいると答えている。
しかし例えば、APIを介して社内と社外のビジネスパートナーに価値があるビジネスデータを戦略的に開放することで、IT部門に余裕を作ることができるかも知れない。ほかの戦術には、最近の大きく改善されたローコード開発プラットフォームを導入し、シチズンデベロッパーに持続可能な形で技術を導入し活用する能力を与えることなどが考えられる。
5.学習とスキルのトレーニング:進化する要件に対応する
現在不足しているのは、何もアプリケーション開発スキルを持った人だけではない。新たなエンタープライズプラットフォームや製品の高度化が進んでいることから、ITのスキルレベル全般が求められている。例えば、米国労働統計局は、2026年までにIT研究者の需要が19%増加すると予測しているほか、ソフトウェア開発者の需要も24%増加するとしている。この数値は、全職種の平均成長率である7%を大きく上回っている。
Salesforceの調査によると、特定のトピックに対する自分のスタッフのスキルが高いと答えたITリーダーは24%にとどまった。特にスキルのギャップが大きかったのは、AI、音声、ブロックチェーンの分野だ。
スキル不足の長期化を避けるには、ITリーダーがAIの新たな波に求められる要件の進化に対応できるような戦略を立てなくてはならない。例えば、すでに筆者も提案したが、民間の開発者と協力するなどして、単純な開発作業を技術者以外のスタッフに任せるといったことでもいいだろう。また、キャリアチェンジを考えている人や、退役軍人で市民生活に戻ろうとしている人など、これまでにITの経歴がない人から才能を発掘することも可能だ。とはいえ、このようなアプローチを取っているITリーダーはほとんどいない。
同時に、ITリーダーは従業員トレーニングプログラムを通じて既存の従業員の能力を高め、必要なスキルを迅速に身につけられるようサポートする必要がある。さらには、生涯学習にシフトしていくことも不可欠だ。
数カ月単位でテクノロジーが変化するのであれば、スキル開発プログラムもその変化に合わせるべきだ。仮想現実のような没入型の新技術を活用すれば、トレーニングのスピードを高めて規模を拡大することができ、従業員もデジタルオンデマンド環境にて自分のペースで学ぶことが可能だ。
デジタルトランスフォーメーションに向けた障害を乗り越える
優先順位に対するプレッシャーがなくなることはない。ただ、ここに挙げた5つの取り組み、つまりAI、ブロックチェーン、音声、開発者の経験、学習とスキルのトレーニングの5つだが、これらを企業の議題として提案できるITリーダーであれば、進化するデジタルエコノミーの中でも組織を効果的に適応させ、成長させることができるだろう。逆に、これらの構想を後回しにしているようであれば、デジタルトランスフォーメーションへの取り組みの障害となり、第4次産業革命における企業の競争力が脅かされることにもなりかねない。
SalesforceのEnterprise Technology Trends調査の詳細は、同社のホームページにて確認できる。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。