2021年6月に情報サービス産業協会(JISA)の会長に再任したリンクレア 特別顧問の原孝氏が2つの新しい施策を打ち出した。1つは、トップレベルのスポーツ選手を育てる「ナショナルトレーニングセンター」のJISA版構想だ。簡単にいえば、世界で戦えるプロのITエンジニアを育成すること。もう1つは、小惑星を探査する「はやぶさ2プロジェクト」のJISA版だ。複数のIT企業の技術と人材を結集させ、世界で戦える商品を創り出すというもの。日本のIT企業の未来が見えてくるのか。
2019年6月にJISA会長に就任した原氏は今回の再任で、「社会の革新」を施策の“一丁目一番地”に掲げた。分かりやすく言えば、ユーザーに「どうしましょうか」という受け身の姿勢から「こうしたらどうですか」と提案し、革新や改革に役立つことだろう。例えば、ワクチンの輸入から管理、配送、接種までのシステムをばらばらに作ろうとしたら、「それは止めるべきだ」と諭し、「全体最適なものを、こう作りましょう」と勧める。予算と時間がなければ、小さい規模で作り始め、後で容易に拡張できる仕組みにする。しかも、ユーザーの期待以上の価値やサービスを提供する。そこには、組織のためではなく、自分の腕を磨き高く売り込む、いわば個人事業主としても活躍できるプロのITエンジニアがいる。従来型のシステムエンジニア(SE)ではないということだ。
経営者には考え方の変化も求められる。売上至上主義ではなく、10年後や20年後を見据えての事業計画と人材育成に取り組むことだ。「来年まで飯を食えればいいという短期スパンではなく、視座を上げて未来志向になること」(原氏)とし、「働く人たちが輝き、ワクワクし、夢に挑戦できる世界を創り上げること」だという。JISAはその実現に大きく踏み出す。
それが7月に立ち上げた2つのタスクフォースになる。1つは、ナショナルトレーニングセンターのJISA版だ。スポーツ選手のように、技術だけではなくメンタルトレーニングや戦略なども学び、「金メダルを獲れるようバックアップする」(原氏)。社内に閉じこもっていたら、技術力も提案力も向上しないしメンタルも強くなれないので、他流試合をさせる。「優秀な人材」と社内で言われても、一歩外に出て戦ったら予選で敗退する。JISAの中で切磋琢磨し、ナンバーワンや金メダルの獲得を目指す。そのロールモデルがまだなければ、Googleなど米IT大手の育成策を参考にする。トレーニングセンターの指導者も、日本の製造業など他業界からも招く。他業界から学べることはいくらでもある。
情報サービス産業協会(JISA) 会長でリンクレア 特別顧問の原孝氏
もう1つのJISA版はやぶさ2プロジェクトは、小惑星「リュウグウ」から粒子を持ち帰った小型探査機のように、少ない予算でも特定分野で世界をリードできるものを作り上げること。“下町ボブスレー”のように、中小企業が各社の強みを持ち寄って開発し、彼らの技術力や商品力をアピールする。
そのためにも、中小企業が活躍する場の確保が必要だろう。サイバー空間とフィジカル空間を融合した未来社会「Society 5.0」の実現に向けて、モビリティーサービスなどのPoC(実証実験)に中小企業やベンチャー企業を積極的に参画させる。保守的なIT大手の役割は、インテグレーションや大規模プロジェクトの元請けだけではなく、次世代を担う中小企業を育てることにもあるはずだ。
もちろんITエンジニアも自ら学ぶ。コロナ禍である意味、自由に使える時間が増えた人は少なくない。地域の活動に参加して地域活性化の町会システムを構築したり、地方移住者が農業にかかわって収穫の生産性向上に寄与したり、身体で現実を知りながら進んで社会課題の解決に当たる。そんな社会貢献の活動を、原氏は「おせっかいIT」と呼び、「日本の良さである親切や丁寧、安心、安全をブランドにする。それがJISA版はやぶさ2プロジェクトになる」と説く。
「中小企業出身の私がもう1回、(JISAの)会長をやることになった。関連する予算も5倍に増やした」と、原氏は意気込みを見せる。2つのプロジェクトが任期満了の2023年6月までに実現していることを期待する。
- 田中 克己
- IT産業ジャーナリスト
- 日経BP社で日経コンピュータ副編集長、日経ウォッチャーIBM版編集長、日経システムプロバイダ編集長などを歴任、2010年1月からフリーのITジャーナリスト。2004年度から2009年度まで専修大学兼任講師(情報産業)。12年10月からITビジネス研究会代表幹事も務める。35年にわたりIT産業の動向をウォッチし、主な著書は「IT産業崩壊の危機」「IT産業再生の針路」(日経BP社)、「ニッポンのIT企業」(ITmedia、電子書籍)、「2020年 ITがひろげる未来の可能性」(日経BPコンサルティング、監修)。