80年代から、オープンソースソフトウェア(OSS)の活用を社内外で進めてきた日本ユニシス。今後、OSSの利用促進に本腰を入れていく計画の同社にとって、大きな強みと言えるのが、ミッションクリティカル分野でのこれまでの実績にほかならない。日本ユニシスで最高技術責任者(CTO)を務める保科剛氏に同社のOSS戦略について話を聞いた。
80年代からの蓄積がいよいよ実を結ぶ段階へ
Windowsベースの基幹系システムを日本で初めて構築したことで知られる日本ユニシス。そんな同社で保科氏が、OSSに初めて触れたのは1980年台中頃のことである。当時、FSFが進めていたUNIX互換のフリーソフトウェア開発プロジェクト「GNU」への参加が、そのきっかけだった。
その後、同社ではOSSの活用が着々と進められてきた。具体的には、80年代後半からインターネット接続を目的に社内利用が進められたほか、90年半ばにはオープンシステム専従の事業部やオープンシステム向けの開発部隊を組織。商用UNIXを用いたシステム開発や性能評価など、その用途を着々と拡大させてきた。
同社では99年には多様な業種/業態向けのASPサービス「asaban.com(朝晩どっと混む)」を開始したが、ネット接続系やメール系などのシステムを整備するにあたり、当時としていち早くOSSを活用したことからも、同社の力の入れようを見て取ることができよう。
こうした取り組みに呼応するように、「90年の後半になると、バックエンドこそWindowsなどで構築されているものの、フロントエンドにはOSSを採用してシステムを構築する企業が増え始めてきました」(保科氏)。
これを受け、1999年にはグループ企業のユニアデックスがシステム構築/保守を軸とするLinux導入サービスを、翌年には日本ユニシスもASP事業者向けに、Linuxをベースとしたインターネット接続のためのiDC基盤構築サービスを開始した。
また、2004年には、OSS推進フォーラムのアドバイザリーボードへ加盟したことに加え、Linuxカーネルのダンプ解析用ツール「アリシア」をユニシスグループとして開発するなど、OSSの啓蒙活動にも積極的に携わってきた。
もっとも、冒頭に触れたように、同社ではこれまでWindowsでのシステム開発に戦略的に注力してきたことから、同社のOSS分野での取り組みには、これまで光が当てられる機会はそれほど多くはなかった。しかし、ここに来て、同社をとりまく環境に、大きな変化の兆しが表れている。