Linus Torvalds氏はInformationWeekのQ&Aで「Linux」は「Windows」とどこが違うのかと尋ねられ、機能Xよりも機能Yの方が優れているというような製品比較の話に立ち入ることはなかった。そのかわり、Windowsの「われわれはMicrosoft、君たちの神であるから信じなさい」的な手法と、Linuxのプロセスやアプローチの比較について論じている。
Linuxの真の強さは、どこか特定の分野というよりもその柔軟性で発揮される。わかりやすい例として仮想化を挙げよう。仮想化はLinuxが強みを持つ分野であるというだけでなく、何通りものアプローチが存在し、万能な「ただひとつの真の仮想化」モデルが存在しない分野だ(後略)。
(前略)これがオープンソースの長所だ。特定の人間(または特定の企業)の特定の利益が支配的になってしまうことはないということこそが、まさにオープンソースがもたらしてくれる恩恵の偉大な例だからである。個人的には仮想化はそれほどすばらしいものだとは思っていないが、この際その事実はどうでも良い。
そしてこれがそのままLinuxの最大の強みなのだ。MicrosoftからOSを購入すると、自分で修正できないだけでなく、特定企業の考え方によって長年にわたって補正されてきたものを購入することになる。Microsoft(やその他の企業)がどれほど有能であるかとは無関係に事実としてそうなってしまう。対照的に、Linuxがどのような場面で使用されているか考えてみよう。携帯電話や人々がコンピュータだとは思いもよらない小型の組み込み型コンピュータから、スーパーコンピュータの上位500に入るような多くの大型マシンに至るまで、あらゆる場所で使用されている。これこそが柔軟性なのである。そしてこのような柔軟性の源泉となっているのは、興味があれば誰でも開発に参加でき、特定の企業によって方針を支配されることがないという事実である。
そして、その結果どうなるのか。Linuxはあらゆる用途で非常に優れた能力を発揮し、全体的に均整の取れたOSになっている。
その通り。Microsoftが神のように全能であり、市場について、そしてユーザーが望むコンピュータの使用法について何から何まで知っていると読者が考えているなら、すべての製品をMicrosoftから購入して、Microsoftの方針に従えばよい。
しかし、より適切に市場に順応しているプレイヤーがほかにもいるかもしれないと思うのなら、多様な場面で多様なニーズに対応できる自己調節機能を備えた(オープンソースという)プロセスに参加することだ。そうすると、どこか特定ベンダーの未来観に縛られることはなくなり自由な立場も保証される。
オープンソースでは読者も将来を創出することに貢献できる。それはとてもすばらしいことだ。
この記事は海外CNET Networks発のニュースをシーネットネットワークスジャパン編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ