Javaが稼働する端末として、サンがJava Stationを発表したのが約10年前。続いて、1999年には「Sun Ray」を発表。当初はそれほど注目されなかったが、しばらくしてセキュリティというキーワードを掲げると、シンクライアント市場に火がついた。しかしその間も、サンのメッセージは一貫していた。
きっかけは「Javaが動く端末」
1982年、UNIXワークステーションのベンダーとして創業したサン・マイクロシステムズは、1995年に「Java」を発表する。このJavaで、サンは単なるUNIXベンダーという範ちゅうを越え、次世代コンピューティングの提唱者になった。
実は、サンのシンクライアントには、こうした次世代コンピューティングの理想型があるという。現在の製品「Sun Ray」の原型が、Java登場の翌年に発表した「Java Station」にあるからだ。その経緯を、マーケティング統括本部でSun Rayのマーケティング担当している高松新吾氏が説明してくれた。
「Javaはメインフレームからサーバ、デスクトップ、さらには携帯端末などあらゆるマシンで実行できるので、ネットワーク上にJavaのバーチャルマシンがあれば、どんなところでも同じアプリケーションを動かせます。サンが創業以来掲げているThe Network is the Computerというコンセプトを実現できるという考えで出した製品です」
同じころ、オラクルも「NC(Network Computer)」を開発しているが、これは基本的にWindowsのような“機能過多”のパソコンに対するアンチテーゼとして出されたイメージが強い。両社とも「TCOの削減」を掲げてはいたが、発想がまったく違うというのがサンの考えだ。
そのサンはJava Stationに続き、1999年には本格的なシンクライアントとしてSun Rayを発売する。しかし、Java StationもこのSun Rayも、市場には早すぎた。一般企業にはまだ、これらの製品を実用的に動かせるだけのネットワーク環境が用意されていなかった。一部の教育機関などでは導入されたが、残念ながら広く普及はしなかった。
それがあるプロモーションをきっかけに、改めてシンクライアントが見直されるようになる。キーワードがそれまでのTCO削減から、「セキュリティ」に代わっていた。
Sun Rayの製品全般を担当する政策推進営業本部インダストリー営業開発部統括部長の寺澤慎祐氏は「もともと管理性というところに力を入れ、端末をネットワークで集中管理しましょう、それによってTCOを削減しましょうというところから始めたのですが、思わぬところで、セキュリティで火がつきました」とこの間の経緯を説明する。
「当たり前のメッセージが受けた」
実は、サンにとってセキュリティは当たり前で、そのメッセージがそれほど受けるとは思わなかったという。「セキュリティは、われわれからいえば『当たり前』なんです」と、高松氏は言う。