第1回の「標準カーネル統合間近!TOMOYO Linuxの足跡:第1回--コミュニティの熱い力」、第2回「標準カーネル統合間近!TOMOYO Linuxの足跡:第2回--押し寄せる危機の連続」もあわせてご覧下さい。(編集部)
TOMOYOを内外で支えた人々
取材を進めていく中で、TOMOYO Linuxを内外から支援してきた多くの方々に話を聞いた。
コミュニティとは何か。その一部として活動していくためには何が必要なのか。彼らのアプローチは正しかったのか。2年という時間は、長いのか、短いのか。開発者同士の対話には何が必要なのか。そして、ビジネスへの展望は……。
それぞれの立場から、これまでのTOMOYO Linuxの足跡や成果について語ってくれた。
「linux-next入りは、コミュニティへ貢献する姿勢が認められた証」
TOMOYOに対して、2年前にコミュニティへ参加することを強く勧めた1人であり、IPv6プロトコルスタックの開発で、Linuxのメインライン入りした経験を持つ吉藤氏は、今回のTOMOYOの成果を次のように評した。
「TOMOYOが、セキュリティのフレームワークとして、すでに統合されていたSELinuxとの違いがあり、その違いに対するニーズがあるなら、メインラインをめざすべきではないかと考えた。
多様性は悪いことじゃない。彼らにTOMOYOに対する信念があれば、主張し続けるべきだし、受け入れられる可能性はあると思った。実際、これまでの活動を見守ってきたが、プロジェクトチームは自分たちなりの方法を模索し、貫いてきたと感じている。
メインライン化を目指してからここまで至るのに2年を要したが、私は当然の時間だと思っている。むしろ2年でここまでこられたのは早いと思う。コミュニティの一部になるためには、自分たちの何かを捨てなければならない。開発者本人たちがコミュニティを受け入れ、その一部となる気持ちに変わるためには、必要な時間だったと私は考えている。我々がIPv6のプロトコルスタックのメインライン入りを目指したときは、3年程度かかった。そのノウハウはTOMOYOでも生かされているのではないだろうか。
2008年のOLS以降、停滞していた状況が一変したのは、コミュニティ側もTOMOYOの歩み寄りの姿勢を認めたからに他ならないと思う。しかし、TOMOYOがコミュニティを醸成していくためには、さらにしばらくの時間が必要だろう。
今回のTOMOYOのlinux-nextへの統合は、ひとつの区切りとして喜ばしいものだと思っている。コミュニティに貢献する姿勢が示されたことを、James Morrisが認めたということだから。ひとまずはおつかれさまと言いたい。だが、これは終わりでなく始まりだということも忘れないで欲しい」
「開発者の『夢』の実現に立ち会えた喜び」
2007年のYLUGカーネル読書会で紹介されて以来、ずっとTOMOYO Linuxを応援し続けてきたコミュニティの人々がいる。その中の1人である伊藤氏は、コミュニティの魅力と力をTOMOYOに教え、ある意味、もっともプロジェクトチームの意識を変えた人物といえるかもしれない。彼に当時の話を聞いた。
「カーネル読書会にTOMOYOの開発者が来るという情報が流れると、常連の参加者たちは色めき立った。当時、Linuxコミュニティの間では、すでにTOMOYOの名は知れわたっていたが、実際にその開発者に会ったことがある人は、ほとんどいなかったからだ。読書会には60人以上が集まり、興味津々でTOMOYOチームを待ち構えていた。
内容は優れたものだった。しかし、当のTOMOYOチームは、メインラインをめざす意志どころか、メインライン化が何を意味するかもわかっていなかった。それは我々にとって、意外であり、驚きであり、歯痒さと苛立ちを感じるほどだったのを覚えている。
必然、参加者からは、なぜめざさないのか、めざすべきだ、という多くの声が上がった。なぜなら、Linuxの開発者にとって、メインラインは『夢』だからだ。結果として、TOMOYOチームを語調強く、突き上げるようなかたちになったが、それはその思いがあったからこそだった。
しかし以来、TOMOYOは大きく変貌した。それは、その後の彼らの活躍を見ればわかるだろう。メインラインを目前にしたTOMOYOは、今や名実ともに日本を代表するセキュアLinuxに成長した。それは、応援し続けた私にとっても誇らしいことだ。
今後、また別の目標がTOMOYOに課せられるだろうが、これからもコミュニティの一員として見守り続けたいと思っている」