Linus Torvalds氏はおよそ30年前、Linuxを生み出した。そして同氏は、9月に開催されたThe Linux Foundationの「Open Source Summit」において、VMwareのバイスプレジデント兼最高オープンソース責任者であり、友人でもあるDirk Hohndel氏とLinuxの歴史について語り合った。
両氏はまず、Linuxの本当の誕生日について話した。Hohndel氏は、Torvalds氏が「Linuxの誕生日を、誰もが用いていた8月25日ではなく、『実際には9月だ』と再定義した」点を指摘した。実際のところ、筆者はこの点についてTorvalds氏本人と話をしたことがある。それによると、Linuxの「公式誕生日」は4つの中から選ぶことができるという。
Torvalds氏はこうした状況を問題とは見なしておらず、以下のように述べた。
われわれは、しっかり定義された適切な誕生日というものを有したことがない。そして、6週間にわたってパーティーが続くというのは私にとって喜びでしかない。というのも、発表そのものについて初めて公式に話した際には、コードは用意できておらず、9月17日に初めてコードをオンラインにアップロードした際にも、しっかり準備をしたものだったとは考えていない。ただ、提供すると数人に約束していた手前、提供したにすぎなかった。このため、公式発表はしていない。その次にコードをアップロードした日を誕生日とすれば、6週間という期間内に誕生日を複数散りばめることができ、毎年その期間中に派手にパーティーを開けるようになる。
同氏は、Linuxを世に送り出した後、どんなことが起こると予想していたのだろうか。サーバーやデバイス、クラウドのOSとして世界を席巻することでなかったのは明らかだ。
Torvalds氏は当時を振り返り、「私は大学生だったが、Linuxを大学でのプロジェクトにしたことはなかった。Linuxについて誰かと話を交わしたこともなく、バージョン0.01のリリースについて電子メールを5人に送信しただけだった」と述べた。同氏はこの5人に「約束通り、アップロードしたよ」と告げただけだったという。
同氏は「私は当時、21歳であり、人生の半分くらいはプログラミングをしていた。そしてLinuxは、プログラミングに対する興味から遂行してきたそれまでのプロジェクトの1つと同じような道をたどる、つまり意味あるものを作り上げたと実感する程度に有益な成果が得られれば、別のプロジェクトを見つけ、そちらにくら替えしようと考えていた。というのもプロジェクトの意義を立証できれば(中略)十分満足でき、それ以上の興味を感じなくなるためだ」と説明した。