「連結経営」とはグローバル社会からの要請により発展してきた経営であるが、グローバル社会で自立を確保していくためには、一方的な受け入れだけでは不十分である。今回は、グローバル連結経営を推進する上で重要となるであろう、独自性や競争優位に関わる会計技術分野について言及する。
「軒を借りて母屋を取る」米国
国際会計基準(「国際財務報告基準」とも言う。International Financial Reporting Standards:IFRS)の“アドプション(適用)”について各所の意見を聞くにつれ、米国と日本では事情が全く異なると感じるようになった。当初、EU、特に英国主導のIFRSが世界中の国々で導入される潮流に対して、自国の会計基準の影響力低下を危惧してアドプションの検討へ踏み切った受動的なものという理解だった。しかし、米国の意図は世界協調へ向けたものではなく、IFRSそのものを自ら主導する会計基準とし、グローバル経済・金融システムの基盤である会計基準に対する国際的影響力を確保することを目指した能動的なものとの理解に至る。
IFRSと米国基準の“コンバージェンス(収斂)”作業は、一方的にIFRSとの差異を埋めるというものではなく、共同プロジェクトという形で米国の考え方を強く反映して進めている。また、IFRSと一言で言っても、完全に世界共通化されたものではない。EUにおいても、金融商品の認識と測定は独自の基準(カーブアウトしたもの)を採用しており、完璧なIFRSではない。
一方、米国基準は完全なるIFRSの導入を目指している。米国は会計基準という、グローバル経済・金融システムの基礎となるルールを主導するために、自国開発という“名”にこだわるのではなく、“実”を取りに行っている。
それでは、日本におけるアドプションは何を目的としているのだろうか。確かに世界中の会計基準がIFRSをベースとしたものとなる中、独自基準の維持にこだわるわけにはいかないだろう。しかし、その導入意義を欧米がそうしたからという理由だけで推し進めるのは疑問を感じる。
中国やロシアなど急速な経済発展が始まってから間もない国が、社会制度の整備が追いつかず、それを補うためにIFRSを導入するのは一理ある。しかし、60余年にわたり、自由経済社会の一員として経済発展を遂げてきた日本が、自国の会計基準を捨てるということ、つまり企業会計の分野で自立を放棄することの意味と、それに対する今後の方針が十分に検討されてのことであるのか、今のところ、この点については理解が不十分である。
先に述べた米国の動向を前提とすると、日本の上場企業へIFRSを強制適用することは、IFRSへと形を変えた米国基準の強制適用と言うことができる。これまでも、米国で上場し米国基準で財務諸表を作成していた場合は、その基準での財務報告を容認してきたが、あくまで例外処置である。すべての上場企業へ米国基準を強制適用すると考えた場合、日本のアドプションとは何か、考え込んでしまう。
自立の確保という視点
会計基準は企業活動を測定するモノサシである。自然科学の世界にように、人間の意志によって結果が変わらないものへの測定基準は統一されてしかるべきである。しかし、経済活動という人間のコモンセンスに立脚した価値の測定においては、その結果を利用するものの意志が大いに反映される。
また、モノサシの違いは、人間の意志決定を含む行動に大きな影響を与える。モノサシの違いとは、計測する対象の範囲や計測方法の違いであるが、エコカー減税なども、政府の産業支援を目的としたモノサシの変更といえる。
グローバル経済活動の一部として企業活動がある以上、グローバル社会からの要請を無視することはできない。むしろ積極的に取り入れていくことが必須である。よって企業経営において、IFRSの理解と経営への応用は重要である。