インターネット第二四半期を読む解くための思考や言葉の必要性
ドイツの哲学者ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインによる『論理哲学論考』(岩波文庫)。論理と言語による世界把握を徹底的に突き詰めた名著。「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」という命題はありまりにも有名(画像提供:Amazon.co.jp)
これは、やはりドイツの哲学者であるルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』(岩波文庫)の中で述べた「世界は成立していることがらの総体である」というアフォリズムとほぼ同様の意味を持っている。
ある認識のフレームの中で世界を眺めればその枠内における真実があり、世界は成立する。しかし、別の認識のフレームで世界を眺めることもまた可能なのだ。
この態度を突き詰めていくと空疎な相対主義に堕しかねない可能性もはらんでいるわけだけれども、つねに、その言説がどんな認識のフレームを通してなされているのかを意識することは重要である。
特に本連載で再三再四述べているインターネット第二四半期における価値変動は、旧来の倫理観や道徳観を根底から揺るがすほどの変化を私たちにもたらすだろう。
インターネットを再考する上で参考になる筆者の著作「メディア、編集、テクノロジー (高橋 幸治)」
つまり、私たちはインターネット第二四半期を読む解くための思考や言葉を新たに創出しなければならない。そうした意味では、前編で少しだけ触れたトランプ的なるものの台頭を単なる「保守化」「右傾化」とだけ考えるのはひょっとすると単純に過ぎるのかもしれない。
「じゃあ、何なんだ」と問われたところで筆者も即答はできないが、もっと別様の認識のフレームを採用しない限り、今後も世界中で続々と生起するであろう課題や問題を解釈することはできないような気がしている。
要するに「Post-truth」とは、確固たる「真実」以外のフェイクニュースの類が世界を動かしてしまう危機的状況なのではなく、これまで「真実」と思われていたものが実は極めて脆い論拠(論理的体系やイデオロギー)の上に成立していたに過ぎず、その正当性がいまや深刻なレベルで問い直されている危機的状況と考えるべきものだろう。