Rethink Internet:インターネット再考

ブロックチェーンは「価値のインターネット」--プライバシーを取り戻す - (page 2)

高橋幸治

2017-08-05 07:00

情報の<過剰>にも、情報の<過少>にも止まれないジレンマ

 従ってインターネット第2四半世紀に突入した私たちは、この<過剰>をどこかで食い止めたい、もしくは多少なりとも抑制できれば……と感じ始めている。

 しかし、インターネットが私たちにとってもはや自己と分離できない「自然」となり「血肉」となった現状では、<過剰>への批判や反省、警告もつながっている人々に向けて発信され、共有されるしかないという自己言及のパラドックスにすぐさま取り込まれる。

 「オートポイエーシス」理論の提唱者として知られるウンベルト・マトゥラーナとフランシス・バレーラは『知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか』(ちくま学芸文庫)の中で、マウリッツ・コルネリス・エッシャーの有名なだまし絵を引き合いに出しつつ、こんなことを言っている。

 なぜ人は自分の認識の根に触れることを避けるのか、ということの理由のひとつは、おそらくそうすることが、<分析の道具そのものを分析するために当の分析の道具を使用すること>が必然的にともなう円環性によって、かすかなめまいのような感覚をひきおこすからだろう。まるで眼にむかって、自分のことを見てみたまえ、といっているようなものだ。

 図6はオランダのアーティスト、M・C・エッシャーによるスケッチだが、それはこのめまいをはっきりとしめしてくれる。プロセスのはじまりがどこなのかわからないようなぐあいにして、手と手がおたがいを描きあっている。いったいどちらが、「ほんものの」手なのだろうか?


ウンベルト・マトゥラーナとフランシス・バレーラによる『知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか

 マトゥラーナとバレーラが指摘した「めまい」は、まさに現代の私たちが情報の<過少>の中に引きこもることもできず、かといって、情報の<過剰>に対する批判が逆に<過剰>を加速/促進させてしまうという逃げ場のなさに似ている。

 そうこうしている間にも、私たちの生活の一切の履歴は大手のECサイトやスマホのGPSやウェアラブルデバイスによって収集され、「自分が調べたいと思っているのか、Googleによって調べたいと思わされているのか」「自分が楽しみたいと思っているのか、Appleによって楽しみたいと思わされているのか」「自分がつながりたいと思っているのか、Facebookによってつながりたいと思わされているのか」「自分が欲しいと思っているのか、Amazonによって欲しいと思わされているのか」が極めて不明瞭な(いわゆる「GAFA」の寡占的支配構造)、あたかも先に挙げたエッシャーのスケッチのような状態にズブズブとはまり込んでいく。

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