Rethink Internet:インターネット再考

無数の糸が織り成すテキスタイルとしてのインターネット(後編)

高橋幸治

2017-04-02 07:00

<前編>

網の目(ネット)とは点の連結ではなく線の絡み合いである

 近代的な思考のフレームに飼い慣らされた私たちは、とかく非直線的なものを毛嫌いする特質を持っている。

 “性根が曲がっている”とか“性格が歪んでいる”とか、“なよなよしている”または“くねくねしている”といったことに対して非常に強い拒絶感を抱く。それとは逆に“発言がブレない”とか“性格が真っ直ぐ”という直線的なイメージをことのほか好む性向がある。

 しかし、私たちが頭に思い描く“点と点を線で結ぶものがインターネットである”というイメージはあくまでもネットワークの構造をシンプルに図像化した概略図に過ぎず、本来のインターネットは点としての人間からやはり点としての人間に情報が直線的つまり効率的かつ合理的に伝達されるような単純な情報輸送網ではないのは明らかだろう。

 私たち自身が多様な材質、多様な色彩、多様な寸法の微細な線(=糸)がより合わさった繊維のような情報結束体なのだから、人間を点として描出するのも、インターネットを直線として想像するのも実は的を射ていない。

 むしろ、そうした無数の線(=糸)としての人間の発信する情報をランダムに織る、つまりWeaveする力こそがWeb(ウェブ)なのではないか。ウェブとは人間が紡ぎ出す種々雑多な線(=糸)によって時々刻々と生成され続ける織物のようなものではないだろうか。

 従って、インターネットにおけるサービスで最も重要になるのは、一見、美観を損なったり秩序を乱しているように思える糸のネジれやホツれ、ほころびであり、ウェブ(=織物)を形成するのは往々にしてどんな人間でもかならず持っている偏ったものやそろっていないもの、チグハグなものである。デジタルテクノロジはある面では人間を単純化し法則性の中に閉じ込めるけれども、別の面では片や人間の根源的な複雑性をより浮き彫りにしていく。

 前編も紹介したこの線にまつわる論考の端緒となったイギリスの社会人類学者ティム・インゴルドによる『ラインズ 線の文化史』の中から、今回の記事の核心に迫る鋭い指摘を再び引用してみよう。抽出個所の前後の部分まではさすがに掲載しきれないので、人名や図版にまつわる記述はあまり意識せず、大枠と本筋の内容だけ拾い上げていただきたい。

(前略)たとえば、ゴットフリード・ゼンパーは――前章でふれた一八六〇年の試論のなかで――原始民族における「網目の発明」について書いていたが、彼らは漁や狩りもために網目をつくり出し、それを用いていた。しかしその用語が近代的輸送やコミュニケーション、とりわけ情報技術の領域へと比喩的に拡大して用いられるようになってから、「網」(ネット)の意味は変化してしまった。いまや私たちはネットを。織り合わされたラインというよりも相互に連結した点の集合体であると考えるようになった。(中略)

 現代的な意味では、網目(ネットワーク)のラインとは点を結び合わせるものだ。それは連結器である。しかしオルロヴが右の一節で描写するラインは、交差し合う路線のネットワークというよりも織り合わされた踏み跡である。

 網細工(メッシュワーク)のラインは、それに沿って生活が営まれる踏み跡である。そして図で図式的に示すように、網の目(メッシュ)が形成されるのはラインの絡み合いにおいてであって、点の連結においてではない。


イギリスの社会人類学者であるティム・インゴルドの『ラインズ 線の文化史』(左右社)。人間の進化の過程で「線」がいかに重要な役割を果たしてきたかを解き明かす興味深い論考

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