歿後50年となるレオナール・フジタ作品、新たに収蔵した26点を公開 特別展示「フジタからの贈りものー新収蔵作品を中心に」開催

ポーラ美術館

From: Digital PR Platform

2018-05-22 13:18


ポーラ美術館(神奈川県・箱根町)は、レオナール・フジタ(藤田嗣治)の作品26点を、新たにコレクションに加えました。くしくもフジタ歿後50年となる今年、新収蔵の作品をご覧いただける特別展示「フジタからの贈りもの―新収蔵作品を中心に」(会期:7月22日(日)-12月2日(日))を開催いたします。なお、ポーラ美術館のフジタ・コレクションの総数は今回の新収蔵を含め総数202点(絵画・挿絵本(版画)等)を数えます。これは国内で最大級の規模といえるものです。

■今回のフジタ新収蔵作品について
●レオナール・フジタ(藤田嗣治) (1886-1968)
○《・・・風に》1926年 26点の絵画、素描
《・・・風に》は、フジタが1924年より同居し始めた恋人リュシー・バドゥー(愛称ユキ)のために描いた26点の作品群です。1926年、フジタは著名な画家たちに倣ってこの作品群を描き、ユキを喜ばせるためにこれらの絵画や素描を紙挟みに入れて贈りました。
この作品群で、フジタが画風を模倣した作家は次の22作家です。レジェ、ゴーガン、ユトリロ、ブラック、シニャック、ピサロ、マルケ、デュフィ、シスレー、ヴラマンク、ヨンキント、パスキン、ヴァン・ドンゲン、ドラン、フォラン、レンブラント、ロダン、コクトー、ザッキン、マティス、ローランサン、ルノワール。これらの画家たちは、フジタが実際に親しく交友したエコール・ド・パリの画家たちと、制作当時すでに物故者となっていた巨匠たちに大別されます。油彩、グワッシュ、水彩、インク、色鉛筆等の技法で、それぞれの作風の特徴が、忠実に、あるいは誇張されて戯画的に捉えられています。
本作品は、エコール・ド・パリにおけるフジタの交友関係を示す貴重な作品です。多様な表現を吸収し、応用することができる卓越した画力とともに、フジタらしいユーモアの感覚を良く伝えています。

作品画像はこちらからご覧いただけます。
(リンク »)

■展覧会紹介
フジタはその人生でめぐりあった大切な人々に自作を贈りました。恋人や妻、友人たちへ贈られた心尽くしの素晴らしい作品群があります。今回の特別展示では歿後50年を記念し、「フジタからの贈りもの」に焦点をあて、コレクションを紹介します。昨年、ポーラ美術館のコレクションに加わった新収蔵作品26点は、かつてフジタが恋人ユキに贈った絵画や素描です。そのほか、友人フランク・シャーマンに贈られた大作《植物の中の裸婦》(1948年)、君代夫人と晩年に暮らしたパリのアパルトマンのために作られた小壁画〈小さな職人たち〉のシリーズ(1958-1959年)など、合計約50点を紹介し、作る人・贈る人としてのフジタを回顧します。
なお、常設展示「ポーラ美術館の絵画」ではこのほか、新収蔵のシャガール、村山槐多などの作品4点を公開いたします。

展覧会名:歿後50年記念特別展示 「フジタからの贈りもの―新収蔵作品を中心に」
     (常設展示「ポーラ美術館の絵画」内)
会  期:2018年7月22日(日)―12月2日(日)


■その他新収蔵作品・作家紹介
●マルク・シャガール (1887-1985)
20世紀のロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人居住区の労働者階級の家庭に生まれる。1911年にパリに行き、モディリアーニ、スーティンらと親交を結ぶ。故郷の風景、ユダヤの伝統、家族、恋人たち、パリの風景などを色彩豊かに描き、詩的で幻想性に満ちた作品を旺盛に制作した。晩年は南フランスに暮らし、その風景を多数描いた。
○《大きな花束》1978年 油彩/カンヴァス 88.3 x 65.1 cm
シャガールが91歳の年に描いた油彩画。南フランスの小村サン=ポール=ド=ヴァンスに暮らし、その風景と花束を組み合わせた作品である。油彩技法を用いながらも、晩年のシャガールがグワッシュの制作において極めた瑞々しい表現と、ステンドグラスを思わせる透明感を備えている。

●村山槐多 (1896-1919)
(リンク ») まれ(岡崎生まれとの説もあり)。幼い頃に京都に移住し、画家・版画家であった従兄の山本鼎の影響を受けて芸術家を志し、絵画や詩、小説など多分野で才能を発揮する。ガランス(茜色)を多用した激しい色使いを特徴とした作品が認められた。やがて退廃的な生活を送るようになり、1919年に22歳という若さで病没した。
○《賀茂の里》1913年頃 油彩/カンヴァス 99.5 x 62.6 cm
本作品は、京都の賀茂を舞台に描かれた初期の作品である。槐多は激しい作風が特徴で、「ガランス」と呼ばれる情熱的な茜色を多用することでよく知られているが、本作品はそうした独自の画風を獲得する以前のものであり、奥行を強調した構図や、立体感のある木の幹の描写などから、油彩画研究を始めて間もない槐多が自分の力量を示すために描いた作品といえる。

●岡鹿之助 (1898-1978)
劇作家の岡鬼太郎の長男として東京で生まれる。1924年、東京美術学校を卒業後に渡仏。スーラやルソーの作品に触れながら、独自のマティエールによる静謐で詩情に溢れた画風を確立し、サロン・ドートンヌなどに出品。1939年に帰国後は春陽会展を中心に活躍し、1972年に文化勲章を受章。
○《ファサード》 1961-1962年 油彩/カンヴァス 46.0 x 55.0 cm
岡が1959年から1961年にかけて、戦後2回目のフランス滞在を果たした際に描き、日本に持ち帰って仕上げられた作品である。「ファサード」というタイトルからも分かるように、石造りの壁の質感、古色の風合い、建物を真正面から捉えた際に見えてくる縦と横の堅牢な構図や、アーチや階段が生み出すリズミカルなラインが強調されている。

●森芳雄 (1908-1997)
東京生まれ。第4回1930年協会展(1929年)に初入選し、1931年に渡仏、1932年にサロン・ドートンヌ入選。1934年に帰国し、独立美術協会や自由美術家協会、主体美術協会を舞台に活躍する。戦後の日本人の精神性を表現するような群像や母子像を数多く手掛けた。
○《母娘》 1951年 油彩/カンヴァス 100.0 x 80.3 cm
従軍や敗戦を経験した森が、1951年に、戦後ようやく絵筆をもって、絶望感や虚脱感といった複雑な感情を抱きながらも、新しい時代への希望を携えて描いていた時期の母子像である。まるで溶け合うように重ね合わされた二人の体の表現には、具象と抽象の間を行きつ戻りつしながら試行錯誤した痕跡が見られる。森の画業を代表する作品である。

●岸田劉生 (1891-1929)
(リンク ») 、新聞記者として活躍した岸田吟香を父に、東京で生まれる。白馬会洋画研究所で黒田清輝に師事するも、アカデミズムに不満を抱き、1912年にヒュウザン会(のちにフュウザン会)を結成。ポスト印象派の影響の濃い作品を手掛け、やがて北方ルネサンスの写実的描法に傾倒する。鵠沼時代を経て、関東大震災での被災を機に京都へ移住すると、初期肉筆画や中国宋元画への興味を強める。1929年、満州からの帰路に立ち寄った山口県で客死。
○《麗子微笑》 1920年 木炭、水彩/紙 50.8 x 34.2 cm
肺結核の療養のため1917年に鵠沼に転居した岸田劉生は、約6年半をこの温暖な土地で過ごすことになるが、この鵠沼時代に集中的に手掛けたのが1914年に誕生した長女・麗子の肖像である。「麗子像」は油彩のほか、水彩や木炭、鉛筆でも制作されており、本作品は木炭で描いたのちに水彩で彩色されている。本作品は微笑む麗子を描いた作品群「麗子微笑」の最初の作品である。
※本作品のみ「ジャパニーズ・モダン―岡田三郎助と近代のよそおい」展(仮称)にて公開予定(会期:2018年12月8日―2019年3月17日)

■ポーラ美術館について
(リンク ») に神奈川県箱根町に開館。ポーラ創業家2代目の鈴木常司が40数年間にわたり収集した、西洋絵画、日本の洋画、ガラス工芸、古今東西の化粧道具など総数1万点を収蔵。
・開館時間:9:00-17:00(入館は16:30 まで)
・休館日:無休(展示替えのための臨時休館あり)
・所在地:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285・TEL:0460-84-2111
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