龍谷大学
光照射で結晶相転位をスイッチし
可逆的で急速に形状変化する結晶システムを開発
ソフトロボティクス分野への波及を期待
英国王立化学会「Chemical Science」誌に掲載
先端理工学部応用化学課程 内田欣吾 教授
■ 本件のポイント
● 龍谷大学 先端理工学部 応用化学課程の内田欣吾研究室は、光を照射することで可逆的に結晶相転位を誘起し、急速に曲がる結晶システムを発見した。この結晶相転位は、マルテンサイト相転位と呼ばれるもので、一般的には、日本刀の焼き入れなどの際にも見られる転位現象。有機結晶では2018年にアメリカで見出されている。この相転位により結晶が大きく急速に変形をすることが知られており、今回は、有機結晶中で機械のように動く分子の挙動とともに、光照射で屈曲する結晶の機構を解明した。光照射で物体を持ち上げたり、運んだりする機能を高速化することが可能で、ソフトロボットの動きの高速化への利用が期待される。
● 研究の成果は、英国王立化学会旗艦ジャーナル「Chemical Science」に掲載(Webでは既に公開)
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※ 図1:(a)この研究に用いたジアリールエテン化合物 (1oRRと1cRR) と(b)光照射で結晶が曲がる様子(紫外光は左側から照射されている)結晶のサイズは、長さ約 650 μm、幅 70μm、厚さ 3μm.)
光を照射すると屈曲する結晶は、2007年、九州大学の入江正浩 教授らにより開発され、光エネルギーを駆動力として用いる人工筋肉になりうると発表されました。この実験では、曲がる結晶に球体を接着し、光を当てると持ち上げる例が示されました。内田グループでは、物体を輸送する目的で、この曲がる結晶を基板上に並べて、光照射方向を変えることで物体をいかなる方向にも運搬しうるシステムの開発に着手しました。化合物は、入江教授らが用いたジアリールエテンの同族化合物ですが、この化合物は、内田が2004年に龍谷大学の長期海外研究員制度で2016年ノーベル化学賞に輝いたオランダのFeringa教授の研究室に1年間滞在したときに内田自身が合成した化合物です。
この化合物は、合成時は1oRRで示すように開環構造をしていますが、紫外光を照射すると青色に着色した1cRRの構造に変わり、可視光を照射すると元の1oRRを再生する光スイッチ分子です(o: open-ring の頭文字、c: closed-ringの頭文字、Rは、側鎖の不斉中心を示す)。この化合物は、結晶状態でも光に反応します。この化合物を、昇華させることにより小さなブロードソード形の結晶が生成されます。長さ約 650μm、幅 70μm、厚さ 3 μmです。この結晶の一方の端を固定し、図1のように紫外線を左側から照射すると、ゆっくりと右側に傾いた後、急激に左に大きく屈曲することが確認されました。最初の右側に緩やかに傾く運動が、従来の結晶中での分子の光異性に伴う結晶の膨張によるものですが、それに続く大きく素早い屈曲の原因がマルテンサイト〔単結晶―単結晶{英語でSingle Crystal Single Crystal (SCSC) }〕相転位であることを突き止めたのです。この時、起こったことは、紫外光照射で膨らんだ結晶格子の傍の結晶格子でSCSC相転位を起こしたことによることを確認しました。さらに、動画にあるように可視光(ここでは緑色の光)を照射すると表面のSCSC相転位が解除され、(d)の状態まで戻った後、緩やかに元の直線状態に戻る二段階の回復を示しました。
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※ 図2:紫外光、可視光の屈曲現象の模式図(a)→(b):結晶表面での1oRR→1cRRのフォトクロミック反応による結晶膨張、(b)→(c):SCSC相転位、(c)→(d):相転位解除、(d)→(e):1cRR→1oRRのフォトクロミック反応による結晶表面での膨張解除
我々が、昨年プレス発表した結晶が曲がることで物体を輸送した研究成果は、(a)→(b)と(d)→(e)の結晶の形状変化を利用したものであり、今回のマルテンサイトSCSC転位による(b)→(c)と(c)→(d)の光応答が、いかに高速かつ大きな変動をもたらすかわかっていただけると思います。今回の発表は、このような、高速かつ大きな変動を伴うマルテンサイトSCSC転位を光でスイッチできたということです。
■発表論文について
英文タイトル:Photoinduced Swing of a Diarylethene Thin Broad Sword Shaped Crystal, A Study on the Detailed Mechanism
和訳: ジアリールエテンの薄いブロードソード形結晶の光照射によるスイング、その詳細なメカニズムに関する研究
掲載誌:Chemical Science, 2020, 11, (リンク »)
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著者:藤本朱子、藤永典子、西村 涼、波多野絵理、河野瑠菜、永井 聖、関根あき子、服部陽平、小島優子、安田伸広、森本正和、横島 智、中村振一郎、Ben L. Feringa, 内田欣吾
■ 内容について
<研究の背景>
近年、有機分子でミクロな機械を作ることに興味がもたれています。事実、2016年のノーベル化学賞は、「分子マシンの設計と合成」のテーマに授与されました。受賞者の一人、オランダのFeringa教授は、光で駆動する分子モーターを使って分子の四輪車を走らせました。しかし、分子の動きは小さく、単独での利用は困難です。一方、分子集合体では分子の動きが蓄積され、目に見える機能が確認できます。有機分子の集合体である結晶に紫外光を照射すると変形や屈曲現象が起こることが実際に報告されています。これらの結晶は,光エネルギーを直接、力学的パワーに変換可能なため、光駆動アクチュエーターや分子機械の構成要素としての基礎研究として注目されています。
光照射による結晶の屈曲現象は、2007年、九州大学教授であった入江教授らによってNature誌に発表され大きな反響を呼びました。これは、結晶を構成する小さな光応答分子が、光照射により結晶の表面の分子が分子サイズの異なる異性体分子に変換され、光に当たった結晶部分だけが伸びたため、結晶が曲がるという現象が観察されました。この力は非常に大きく自重の数百倍の重さの金属球をも持ち上げることが示されました。しかしながら、この結晶の応答挙動は、比較的ゆっくりです。迅速な応答挙動が必要な場合には対応できませんでした。今回の発表は、マルテンサイトSCSC転位を使うことで、迅速な応答が可能になりました。
内田研究室では、光を照射すると色を可逆的に変えるフォトクロミック化合物、特に熱的な安定性を有するジアリールエテンという化合物を用いて光を照射して光応答する機能材料を研究してきました。ジアリールエテンは、無色の開環体と呼ばれる状態に紫外光を照射すると分子中心部が閉環し、着色した閉環体を与えます。これに可視光を照射すると元の開環体を再生します。この化合物は、光で何回も閉環・開環反応を繰り返せること、結晶状態でもフォトクロミズムができることに特徴があります。
内田研究室では光で屈曲する結晶について2016年分子機械のテーマでノーベル化学賞を受賞したB. L. Feringa教授とも共同研究を行ってきました。今回の成果は、2004年に、龍谷大学の教員の長期海外研究員制度を利用し、内田がFeringa研究室で一年間研究してきた際に、Feringa研究室で合成した化合物の一つです。この化合物を昇華して作成した結晶は、長さ約0.5 mm、幅約10μmのサイズのブロードソード形の結晶をしています。この結晶の光で屈曲する現象は、入江教授の発表の翌年、英国王立化学会の「Chemical Communications」誌に発表していますが、その時Feringa教授から、この結晶はどの方向に曲がるのかと確認を求められました。最初は、入射光源に近づく方向に曲がるように見えましたが、一旦光源から遠ざかるように曲がり、続いて急速に接近するように曲がっていました。この結晶の屈曲メカニズムは、入江教授らの報告によるものでは説明ができません。そこで、兵庫県にある大型放射光施設SPring-8での測定を開始しました。その結果、光照射により、最初に光源から遠ざかる方向に曲がる際は、入江教授らの報告したメカニズムなのですが、そこでSCSC相転位が起こり、急速に結晶の体積が減少することで手前に大きくかつ迅速に曲がっていることが判明しました。さらに可視光を照射すると、先ほどの軌跡を逆にたどるように、二段階の屈曲を経て元の真っすぐな結晶に戻りました。
<研究の結果>
今回用いたフォトクロミック化合物、ジアリールエテンの結晶の特徴は、結晶を構成する分子同士が結晶の長軸方向に分子間水素結合により連結されていることです。その水素結合のため、昇華により結晶が、その方向に成長するということが挙げられます。
ただ、今回難しかったのは、長さ約 650μm、幅 70μm、厚さ 3μm の小さな結晶中で、何が起こっているかを知ることでした。通常の単結晶X線構造解析装置では解析できず、ついに大型放射光施設SPring-8を使うしか手がありませんでした。
その結果、紫外光を照射してしばらくすると回折点が2倍に増えており、SCSC相転位が起こっていることを確認できました(参考図1)。この時の結晶構造は(参考図2)にあるように、紫外光照射前のPhase Iの状態から、結晶格子の角度が変わるとともに、隣接する結晶格子の対称性が悪くなったPhase IIに変わっていることが確認できました。その理由は、(参考図3)にあるように隣接する結晶格子のフェニル基が異なる回転角を取るように回り、結晶格子の体積が減少していることも分かりました。可視光を照射すると、すべてのデータは、元のPhase Iのものに戻りました。可逆性のあるマルテンサイト転位の特徴です。このような、光照射により、大きな結晶の形状変化をともなうマルテンサイト転位をスイッチングでき、その現象を分子レベルで追跡したのは世界初の成果です。
<研究の意義と今後の展開>
現在、金属を使って作られるロボットに対して、柔らかい材料をつかった「ソフトロボット」の開発が進められています。光で屈曲する結晶も、ソフトロボットの有力候補ですが、応答が緩やかです。今回の光応答システムは、その欠点を克服する一つの回答を示したものであります。昨年、我々がプレス発表したゾウリムシの繊毛運動をまねた物質輸送システムも緩慢な動きしかできませんでした。このような、機構解明による、新機軸の提案なしに技術革新はできないと思われます。
今回の論文は、世界的に例を見ない新しいものであるため、英国王立化学会がFlagship Journal(旗艦論文誌)と位置付けたChemical Science 誌 から掲載受諾と同時に表紙作成のオファーを頂きました。このことは、この成果が学会から高い評価を受けたことを意味しています。
<参考図>
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