「スポーツ・フォー・エブリワン」を推進する、公益財団法人 笹川スポーツ財団(所在地:東京都港区、理事長:渡邉 一利、以下 SSF)は、日本が戦後初めて参加した1952年ヘルシンキオリンピックに陸上選手として出場した星野(旧姓・吉川)綾子さんのスペシャルインタビューを公開いたしました。
星野さんはヘルシンキ大会の12年後、大会出場経験を買われ、1964年東京オリンピックのメイン会場・国立競技場でVIPを案内・接待する「コンパニオン」に選ばれました。ヘルシンキ大会出場までの選手生活、コンパニオンとして心がけた当時のおもてなしの様子や、3年後の2020年東京大会に期待することなどを伺いました。
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▲コンパニオンを務めた国立競技場にて(1964年 中央が星野 綾子氏)
SSFでは、スポーツの価値や意義を検証し、あるべきスポーツの未来について考える機会として、鈴木大地氏、吉田沙保里氏、室伏広治氏など日本のスポーツの歴史を築かれてきた方々へのインタビュー記事『スポーツ歴史の検証』 を連載しています。
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▲19歳でヘルシンキオリンピックの100mに出場(右から2人目、1952年)
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▲東京オリンピックでは、「コンパニオン」として、笑顔と誠意の「おもてなし」
(右から6人目、1964年)
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(リンク ») スポーツ財団 スペシャルサイト
『スポーツ歴史の検証』
第66回 間近で見た「オリンピック・ムーヴメント」
星野 綾子 氏
(スポーツ歴史の検証 で検索ください!)
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【主な内容】
日本戦後初のオリンピックに出場
衝撃を受けた世界の成長スピード
ヘルシンキ後に襲った突然の「燃え尽き症候群」
東京オリンピックで始まった「コンパニオン」
笑顔と誠意を心がけた「おもてなし」
スター選手の登場に期待したい2020年
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(リンク ») 綾子(ほしの あやこ)氏 (旧姓・吉川)
元陸上選手。1951年アジア大会(ニューデリー)の4×100mリレーで金メダル、走り幅跳びで銀メダルを獲得。1952年ヘルシンキオリンピックに出場した。1954年からは母校・芦屋女子高校教員と産経新聞記者の二足のわらじで活躍。ヘルシンキ大会出場経験を買われ、1964年東京オリンピックでコンパニオンを務めた。
インタビュアー 佐塚 元章(さづか もとあき)氏
NHKの元チーフアナウンサーで、現在はラジオアナウンサーなどを務める。1992年バルセロナオリンピックの開会式、岩崎恭子の最年少金メダル獲得(水泳)などの実況をはじめ、スポーツ実況を25年間担当した。
<スポーツ歴史の検証>概要
【企画制作】公益財団法人笹川スポーツ財団
【後 援】スポーツ庁、東京都、公益財団法人日本体育協会、
公益財団法人日本オリンピック委員会ほか
【特別協力】株式会社アシックス
お問い合わせにつきましては発表元企業までお願いいたします。