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【天津(中国)2019年10月11日新華社=共同通信JBN】天津市浜海新区は過去40年にわたり、国家戦略を引き受け、中国の改革開放路線の波に乗って、国家に貢献する新たな1章を書き込んだ。
改革開放運動が開始された1984年、鄧小平は天津経済・技術開発地区(TEDA)で7文字を書いた。「開発地区は巨大な可能性を保有する」という言葉は、中国国内の家庭の日常の話題となった。TEDAはそれ以来、開放政策に力を入れる中国初の開発地区の1つとなり、急速開発の歩みに着手した。
天津港湾保税地区は1991年、中国北部で最も早期の総合保税地区として認可された。鄧小平が1992年に中国南部を訪問した後、同国の改革開放は新たな歴史的段階に入り、開放経済は東部の天津に根を下ろした。天津は1994年、開発地区と保税地区の上に浜海新区を開設した。
浜海新区は2006年、国家戦略の中に組み込まれ、中国北部の開放に向けた総合的な改革試験地区・ゲートウェーとなり、新たな急速成長レーンに組み込まれた。浜海新区は多くの側面で一連の改革を実行した。新区内の3地区は2014年、中国北部の初の自由貿易地区となり、中国のさらなる開放を探求する先駆的な役割を果たすことになった。
中国の改革開放という大いなる道程に沿って、浜海新区は過去40年、中国北部の花形地区に上り詰めるため、積極的にさらなる開放政策を追求してきた。
ソース:Media Convergence Center with Tianjin Binhai New Area
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