脱トマソン
ハード・トマソンとソフト・トマソンの違いは何であろうか?
ソフト・トマソンにはハード・トマソンほどの哀愁を感じることがない。それは、物件としてのトマソンは、不可抗力として取り残されたもので、その意志ではどうすることもできない。故に、そこには同情と哀愁が伴う。
一方、ソフト・トマソンは、自らその危機を認識し、行動を起こすことで、トマソン化することを避けることができる。それゆえに、ソフト・トマソンは共感を呼びにくい。
企業や産業であれば、その行動とはイノベーションへの取り組みである。それを怠ればトマソンと化すが、それは怠慢によるものであるから、哀愁や同情が伴うことはない。純粋階段に魅かれることはあっても、ソフト・トマソンに心魅かれることはないのである。そう考えると、先週開催した金融イノベーションのカンファレンス「FIBC」は、金融産業の脱トマソン化への試みであったなあと思うのである。
芸術は無用の長物であり、同じく無用の長物であるトマソンも美しい。何故無用の長物なのに心惹かれるのか、そこには必ず何らかの気付きが隠れているところが、無用の長物にすらその存在意義がある所以である。超芸術に刺激を受けつつ、これからも脱トマソン化へ邁進していきましょう。
ちなみに、赤瀬川原平がその教壇に立ち、その生徒をしてトマソン観測に駆り出していた現代美術の学校である「美学校」は、筆者の出身校でもある。筆者が在学していた90年代前半は、もはや赤瀬川原平は教壇には立っていなかったが、筆者の人生に今でも大きな影響を与え続けているのである。
飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。