その後、論理演算を自動的に行う計算の仕組みに関する研究は進展し、1936年、イギリスの数学者Alan Turing氏によって、アルゴリズム(計算方法)さえ与えれば、どんな論理演算も実現できる計算機「チューリングマシン」が構想され、これをハードウェアとして実現したものとして、ハンガリー出身の米国の数学者John von Neumann氏らが「ノイマン型」の計算機を実現した。現在のPCやスマートフォンをはじめとするコンピュータは、すべてノイマン型の仕組みで動作する。
このことから、現在われわれが手にしている計算機は、人間の知能のもつ「推論」の仕組みを実現した「論理演算機」であり、アルゴリズム(計算方法)さえ与えれば、どんな論理演算も実現できる計算機である。言い換えると、アルゴリズムを人間が与えることによってはじめて動作する機械である。
何をすべきかを人間が詳細に与えてやれば、計算機は、正確にその任務を遂行する。しかしながら、厳密に記述されたアルゴリズムがなければ、計算機は動作を開始することができない。こう考えると、われわれのもつ「推論」ができる計算機の能力は、人間の知能のもつ能力とは、大きく異なるものであるように見える。
人間のような知能を持つ計算機は、実現できないのだろうか。
「知能」を定義することは不可能
知能を定義することが不可能であることを説明するためには「自己言及のパラドックス」と「不完全性定理」 について説明する必要がある。詳細な説明は専門書に譲るとして、ここでは、その内容を簡潔に説明する。
唐突ではあるが、以下の文を読んでいただきたい。
「クレタ人は嘘つき」だとクレタ人は言った
ある人がいて、その人がたまたまクレタ人で、その人が「クレタ人は嘘つき」というせりふを言った、という状況を説明する文である。この文は「自己言及のパラドックス」の構造を持っており、自己矛盾を起こしている。「クレタ人は嘘つき」と言ったクレタ人が本当に嘘つきだったと仮定すると、彼は嘘つきなのだから、彼の言ったせりふは嘘である必要があり、「クレタ人は嘘つきではない」ことになる。
しかしながら、そうすると、このクレタ人は「クレタ人は嘘つき」という嘘をついたことになり、このクレタ人は嘘つきということになる。つまり、彼は、嘘つきであるとしても、嘘つきでないとしても、矛盾が生じてしまうということになる。
このように、相矛盾する2つの事実が入った文言は、パラドクスに陥ることが知られており、「自己言及のパラドックス」と言われている。これ自体は、ほんの言葉遊びのようにも見えるが、オーストリア・ハンガリー帝国出身の数学者Kurt Godel氏は、数学そのものに同様の構造が含まれることを「不完全性定理」によって証明した。すなわち、数学体系を用いて、論理的に「推論」する仕組みそのものが「不完全」であることを証明したのである。
これが「知能」の定義とどう関連すると言うのだろうか。