1989年11月9日 記者の質問でベルリンの壁が崩れ落ちた

visitBerlin

From: 共同通信PRワイヤー

2014-11-04 16:00

1989年11月9日 記者の質問でベルリンの壁が崩れ落ちた

AsiaNet 58494 (1213)

【ベルリン2014年11月4日PRN=共同通信JBN】1989年11月9日、ドイツ民主共和国(DDR、東ドイツ)政府が記者会見を招集した時、その4時間後に大群衆が境界線を越えて西ベルリンに殺到することになるとは誰も予測していなかった。

(Photo: (リンク ») )

そして政府スポークマンのギュンター・シャボウスキーが事前準備をもっとうまくしていたら、あるいは記者の質問に混乱しなかったら、その夜はもっと違った展開になっていたに違いない。

ビルト紙の特派記者、ペーター・ブリンクマンはその夜の出来事の中心に居合わせた。

秋の寒さが身にしみるその日、記者会見自体は東ドイツ国家の新しい公開性を示す1つのサインだった、とブリンクマンは回想する。東ドイツは確かに市民に対する国外旅行の規制を緩和することを決定していた。新しい規則はしかし翌朝(11月10日)に発効することになっていた。

だが、物事は別の展開を見せることになる。

シャボウスキーは事前に新しい発表のメモをよく読んでいなかった、とブリンクマンは確信している。シャボウスキーが長々としたスピーチを読み上げている最中、イタリア人特派員が国外旅行規制の緩和について、より掘り下げた質問を発した。

突然、その場にいた全員が目を覚ました。シャボウスキーはメモの紙を捜し出して宣言した。「そこでわれわれは本日、えー、DDRの国民はだれでも、うー、国境を越えて国外に旅行することを可能にする枠組みを作り出すことを決定した」。

ブリンクマンは質問した。「いつから発効するのか。今すぐか」。シャボウスキーはそこで歴史に残る極めて重要な発言をした。「私の知る限り、発効するのは、直ちに、遅滞なく…」。ブリンクマンは質問を重ねた。「これはベルリンの境界線を越えることも対象になるのか」。シャボウスキーは重ねて確認した。

それは1つのセンセーションだった。ブリンクマンの回想では、東ベルリンから大群衆が押し寄せたのは午後10時ごろだった。「西側のテレビ局が境界は開いている」と報じてからだった。

押しとどめることは不可能だった。数十万の東ベルリン市民が境界線に殺到した。壁は崩れ落ちた。

▽メディア問い合わせ先: visitBerlin
Bjorn Lisker
Tel +49-30264748956
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ソース:visitBerlin

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