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【シュツットガルト(ドイツ)2015年8月26日PRN=共同通信JBN】
*イノベーションを先導
*クロスリファレンス:写真はAP Images( (リンク ») )と (リンク ») 、 (リンク ») で入手可能
第2次世界大戦後すぐに輸出が再開され、ドイツの自動車産業は現在の支配的な地位を築く下地をつくった。1961年には、ドイツ連邦共和国は世界最大の自動車輸出国となり、毎年100万台を海外に販売した。1959年でも、輸出は総生産の50.7%を占めた。ドイツの自動車産業が大規模な生産能力を構築できたのは、この外国からの需要があったからである。
1954年以前は、ボルクヴァルト(BORGWARD)グループは国内市場向けだけに生産していた。しかし1957年には、同社はフォルクスワーゲンに次いでドイツ第2位の自動車輸出企業になり、外国に6232台を販売した。その翌年、その台数は1万1363台に増加し、ボルクヴァルト総生産の72%を占めた。これによってブレーメンの自動車メーカー、ボルクヴァルトは、ドイツ自動車産業で平均輸出シェア48.2%だったその他の企業から数段先んじることになった。
戦争が終了してすぐ、カール・F・W・ボルクヴァルトはアルゼンチン、ブラジル、インドネシア、スペイン、南アフリカに同社工場の設立を開始した。大抵の場合、これの工場はいわゆるCKD方式で稼働した。CKDは「完全現地組立」の略語である。これは、特定の市場に個別パーツを輸出し、それを組み立てて最終車両を完成させ販売することである。
ボルクヴァルト組立工場はこの他、チリ、メキシコ、アイルランド、アントワープ、オーストラリアのHartnett-Lloydにあった。さらにボルクヴァルトは米国に同社販売企業を設立した。このBORGWARD Motor Corporationはボストンを拠点とした。賢明な企業家だったカール・F・W・ボルクヴァルトは、生産高を増加させることで1台当たりのコストを低下させるとともに、輸出によって同社は車両をさらに安価で市場提供できることにすぐに気付いた。同時に、増加した輸出によって、ドイツの冬季の内需減退の緩和に役立つことになり、生産を1年間通じて安定させることができた。1950年代および60年代には、ドイツの車需要は冬季月間には急減し、国内自動車メーカーの大半は交代勤務者を減らすか、在庫のために生産をせざるを得なかった。責任感が強いたカール・F・W・ボルクヴァルトは常に後者を選択したが、これは相当な資金を必要とした。しかし1950年代、輸出販売がこの冬季の減少を相殺することに成功した。
ボルクヴァルト・グループはたちまち輸出市場における地位を確固たるものにした。乗用車および1トン以下のトラックの両市場で、ボルクヴァルトの特色的なダイアモンドの形をしたエンブレムがすぐにスウェーデン、オランダ、ノルウェーの市場を支配した。1950年代末から、米国、カナダ、南アフリカなど欧州以外の地域が重要性を増した。
ドイツ製小型車は特に米国市場で人気となり、セカンドカーないしはサードカーを求める通勤者の間で大当たりした。しかし米国メーカーはすぐさま対応策を講じ、1959年にはこのクラスの自動車生産を開始した。その結果、ドイツの対米輸出は1960年、19%減の11万5340台になった。特に輸出取引が大きなシェアを占めたボルクヴァルトは、この減少で大打撃を受けた。
それにもかかわらず、ボルクヴァルトは輸出重視の姿勢を貫くとともに世界市場制覇の意欲に燃えて、1950年代よりもさらに前進した。現在のボルクヴァルトにとって、世界市場制覇の目標は依然として21世紀の課題となっている。
▽問い合わせ先
BORGWARD Group AG
Kriegsbergstrasse 11
70174 Stuttgart
Germany
Juergen Schramek
Head of Product Communications
Telephone +49-711-7941851043
e-mail media@borgward.com
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ソース:BORGWARD Group AG
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