腎臓病と闘う人にとって、同じ病気を持つ先輩患者さんから聞く体験談は何よりも心の支えになるもの。NPO法人腎臓サポート協会の「腎臓病なんでもサイト」では、さまざまな患者さんに、病気の受けとめ方や乗り越えた経緯、ご家族のサポートなど、貴重なお話を伺っています。
今回の体験談は、83歳のときに糖尿病から腎不全になり、ほとんど寝たきりの生活になってしまった江村季子さん。体に負担が少ない腹膜透析(CAPD)を、お嫁さんの弥生さんに手伝ってもらいながら導入したところ、すっかり元気になり、仕事にまで復帰しました。いつもサポートしてくれる弥生さんと一緒にインタビューしました。
(※職業・年齢や治療法は、取材当時のものです。)
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■江村 季子さん(85才 女性)、弥生さん
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患者さんプロフィール:
1929年11月生まれ、85歳。15歳で東京大空襲を経験。経理の仕事に携わっているときに結婚。ネクタイ縫製をしていた叔母より夫婦二人で技術を学び、赤羽で独立。その後、長男が家業を継いだため、夫婦二人で川口に新工場を作って移住した。ご主人が亡くなったため川口工場を閉鎖し、赤羽の長男と同居し、現在に至る。
<記事の一部をご紹介!>
■家族みんなで検討しCAPDを選択
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※インタビュアーはNPO法人腎臓サポート協会理事長の松村満美子
松村: 昨年、84歳で腹膜透析(CAPD)を導入されて、今でもお仕事をしていらっしゃると伺いましたが、お仕事は何ですか?
秀子: ネクタイ屋です。
弥生: 自営でネクタイの縫製をしているんです。
松村: 代々なさっているんですか?
秀子: 主人の代からです。結婚したときは勤めていたんですけど、叔母がネクタイを作っていたので、二人で叔母のところに習いにいって、それから始めたんです。
松村: お二人で起業なさったんですね。その時からここで?
秀子: はい。その後、息子が後を継いだので、川口に工場をもうひとつ作って主人と私は川口でやっていたんです。でも17年前に主人が亡くなって一人になったので、またこっちに戻ってきたんです。
松村: それで今でもお仕事を続けていらっしゃるんですね。CAPDをしていて、お仕事に支障はありませんか?
秀子: CAPDを始める前にはとても具合が悪くって、仕事どころではなくなってしまいました。
松村: いつ頃ですか?
秀子: 去年の春です。
松村: どんな感じだったんですか?
秀子: ほとんど寝てましたね。
弥生: 食事も受け付けないし、痩せちゃって、仕事なんかできる状態じゃありませんでした。
松村: それで先生はなんて?
秀子: 腎臓が悪いから透析をしなければならないと。
松村: 先生はどなたですか?
秀子: 帝京大学医学部付属病院の新井繁幸先生です。川口にいた頃から糖尿病で、近所の社会保険病院で新井先生に診ていただいていたんです。先生が帝京に移られたので、こちらで診ていただくようになったんです。
松村: 糖尿病から腎臓が悪くなったんですね。
秀子: 80歳すぎてこんな病気になるなんて思ってもいなかったのでびっくりしました。
弥生: 透析なんて初めて聞いたので、「やらなきゃいけないの?」という感じでした。
松村: それでどうしたんですか?
秀子: 血液透析(HD)と腹膜透析(PD)の説明を受けました。
松村: 悩みました?
秀子: ええ、血管が細いのでHDは嫌だなと、献血も断られるくらい細いんですよ。それに通わなくてはならないのも大変だと思いました。CAPDなら1ヶ月に一回の通院でいいですから。
弥生: 夜寝ている間に機械が自動的にやってくれるAPDもいいなと思いましたけど、いろいろ話を聞くと、夜中にトイレにいきづらいとか、大変なこともあるようなので。
秀子: 先生も子供たちもCAPDが良いっていうので、これにしたんですけど、こんなに良くなるとは思いませんでした。
■何回も失敗したけど今は自分でできます。
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松村: お嫁さんの弥生さんに手伝っていただいているんですか?
秀子: はい、最初は。二人とも緊張して、やっていました。
松村: 今はお一人で?
秀子: ええ、できるようになりました。何回も失敗しましたけど。
松村: どんな失敗を?
秀子: グリーンのキャップを外してからフタをしなければいけないんですけど、キャップを外し忘れちゃうんです。それとこの間はすごい失敗をしちゃって。
弥生: ハサミで袋を開けようとして、一緒に管も切っちゃって、水がバーっとでてきて。
松村: 水浸し?
弥生: 機械の中にも水が入って機械がダメになって、一番大きな事故でした。病院でハサミは使わないよういわれていたんですけどね。あとはほとんどキャップの外し忘れです。そうすると、「コールセンターに電話してください」って文字がでるので、「来て、来て」って私が呼ばれて。
秀子: そのたびに帝京まで車で送って貰って、迷惑かけました。
弥生: ほかのことを考えていたり、テレビをつけていると無意識にやっちゃうんですね。
松村: ひとつづつ、「これよし」「これよし」って、電車の車掌さんみたいに指さしをしながらやったらどうですか。
秀子: そうですね、最初は手順を書いた紙を貼って、見ながらやっていたんです。病院で親切な人がいて、書いてくれたんですよ。
弥生: 作っていただいたものを、息子が何枚もコピーして、私達もこれを見ながらやってました。「グリーンのキャップを必ず外すこと」っていう紙も貼ってあったんですけど、器具を交換したときに紙をはがしちゃったので、また貼っておかなければ。
■仕事をすることが元気の秘訣
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松村: 何時間間隔ぐらいで液の交換をしているのですか?
秀子: 1日4回です。朝の7時半に液を入れて、朝食を食べてから仕事場にいきます。11時半に交換してお昼を食べてからまた仕事をします。3時半にまた液の交換をして、あとは夕飯までゆっくりしてます。夕飯を食べ終わったら、夜7時頃に排液します。
松村: 寝ている間は空ですか?
秀子: そうです。
松村: 今まで腹膜炎を起こしたことは?
秀子: 一度もないですよ。ちょっと面倒ですけど、お風呂に入る前とあがってから、必ずカテーテルの出口部分を消毒してますからね。
松村: お仕事を再開されたのは、CAPDを導入してからどのくらいですか?
秀子: CAPDに慣れるまでは無理だったので、2ヶ月くらいかかりました。
弥生: 仕事はやらなくても良いといっていたんですけどね。
秀子: 何もしないと、退屈ですよ
<後略>
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