国立大学法人東海国立大学機構 岐阜大学
人工知能を利用して磁石の磁気パラメータの推定に成功 ―スピントロニクスの研究を人工知能で効率化―
1. 発表者:
河口真志 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 助教)
長谷川隼 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 修士課程2年生)
林将光 (東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 准教授)
仲谷栄伸 (電気通信大学大学院情報理工学研究科情報・ネットワーク工学専攻 教授)
田辺賢士 (豊田工業大学大学院工学研究科 准教授)
澤拓哉 (豊田工業大学大学院工学研究科 修士課程2年生)
山田啓介 (岐阜大学工学部化学・生命工学科 助教)
2. 発表のポイント:
◆材料の測定が難しい特性を人工知能による画像認識技術によって推定することに成功した。
◆ 一枚の磁区画像(注1)から磁石の磁気特性を複数種類推定できたのは世界で初めてである。
◆ この方法を様々な磁気特性へと拡張することで、次世代の情報デバイスの研究開発期間を大幅に短縮できる可能性がある。
3. 発表概要:
社会の情報化が急激に進展する中で、省エネルギー・高効率な情報デバイスの開発が大きな課題となっています。新たな材料や物理原理を用いた次世代デバイスの開発には、対象となる材料やデバイスの特性評価が重要な位置を占めています。しかしながら、これまでそのような特性評価には特殊な測定や微細加工が必要であり、大きな労力が割かれてきました。今回、東京大学大学院理学系研究科の河口真志 助教、長谷川隼 修士課程2年生、林将光 准教授らのグループは、電気通信大学大学院情報理工学研究科情報・ネットワーク工学専攻の仲谷栄伸 教授、豊田工業大学工学研究科の田辺賢士 准教授、澤拓哉 修士課程2年生、岐阜大学工学部化学・生命工学科の山田啓介 助教らの研究グループと共同で、人工知能を利用して画像から磁石の磁気特性を推定することに世界に先駆けて成功しました。この研究では、次世代情報デバイスの材料候補とも考えられているナノ多層膜の磁石について、人工知能分野で大きく発展を遂げている機械学習とコンピュータによるシミュレーションを組み合わせることで、磁石の磁区画像(注1)一枚から、それ以上の微細加工や測定を行うことなく、複数の磁気特性を推定しました。この成果によって、革新的な次世代情報デバイス実現に向けた材料研究・開発が大きく加速されることが期待されます。
4.発表内容:
【研究の背景・先行研究における問題点】
次世代の情報デバイス実現を目指すスピントロニクス(注2)分野では、材料の磁気特性を記述するパラメータ(以下、磁気パラメータ)を評価し、その値を基に研究開発が行われています。しかし、その評価には特殊な測定法が必要になる場合が多く、研究開発上の課題となってきました。例えば、ジャロシンスキー守谷相互作用(注3)(以下DMIと略す)と呼ばれる磁気パラメータはその代表例であり、次世代磁気メモリ開発研究の中で最も重要なパラメータである一方、簡単に評価できる手段が確立されていません。そのため、このような磁気パラメータを簡単かつ短時間で明らかにできる手法が強く求められてきました。そこで本研究では、近年急速に発展している機械学習を利用して課題解決に挑みました。
機械学習は、計算機科学の進歩と共に飛躍的に発展し、現在では現代社会における必須の技術となりつつあります。自動車の自動運転、翻訳、画像認識、囲碁将棋ソフトの開発など、その適用範囲は枚挙にいとまがありません。特に画像認識の分野では畳み込みニューラルネットワーク(注4) (以下CNNと略す)の開発によって、高精度な認識が実現しており、人間の眼では気付かないわずかな特徴を捉えることができます。本研究ではこのCNN技術を利用して磁気情報を含む画像を解析し、DMIのような磁気パラメータを取得することを試みました。
磁石の中には「磁区」と呼ばれる、それぞれの領域内でN極の向きが揃った区画が整然と並んでいます。磁区の大きさや形などの磁区模様にはその材料の磁気パラメータが反映されています。N極の向きをマッピングした画像を取得・解析し、磁区模様の特徴を捉えることができれば、磁気パラメータの推測が可能となります。
【研究内容と成果】
本研究の概要を図2に示します。まず人工知能が学習するための教師データ(注5)と、学習した人工知能の精度を評価するためのテストデータ(注6)を準備します。教師データには大量のデータが必要となるため、実験によって取得することが困難です。そこで本研究では、マイクロマグネティックシミュレーション(注7)を利用して、教師データとなる磁区画像を作成し(図1)、テストデータには実験から取得した磁区画像を用いて、DMIの値(D値)を推定できるか調べました。
まず、磁区画像を用いた機械学習が有効であるか確認するため、教師データだけでなくテストデータもマイクロマグネティックシミュレーションによって作成し、D値を推定しました。教師データには10万枚の磁区画像を準備し、テストデータとして1万枚の磁区画像を、教師データとは独立に準備しました。このとき、教師データとテストデータのD値はランダムに変化させました。1万枚のテストデータの推定結果を図3(a)に示します。推定値は設定値に対して傾き1の比例関係になっていることがわかります。さらに設定値を0.2、0.4、0.6、0.8、1.0 mJ/m2に固定したときの推定値の分布(図3(b))を見ると、推定されたD値は設定値の近傍に分布していることがわかります。これらの結果から、磁区画像を用いた機械学習が有効であることがわかりました。
学習を行った人工知能を用いて、次はテストデータに実験から得られた磁区画像を用いてD値を推定しました。実験に用いた素子構造はSi sub./Ta (d)/Pt (2.6 nm)/Co (0.9 nm)/MgO (2 nm)/Ta (1 nm)という多層膜です。着目している磁石は0.9 nmのCo極薄膜ですが、CoのDMIは、下部のTa層の膜厚によって変化することが知られているため、Taの膜厚を変えて実験しました。磁区模様は小型の磁気センサーを搭載した顕微鏡を用いて観察しました。取得した画像を解析した結果、図3(c)に示されるように、実験から計測されたD値と人工知能が推定したD値が一致することが明らかになりました。また、推定できる磁気パラメータを増やしても、推定値の精度が変化しないことがわかりました。これらの結果は、機械学習と画像認識を用いることで、微細加工や電気測定なしに、評価が難しい複数の磁気パラメータを磁区画像から取得できることを実証するものです。
【本研究の意義・今後の展望】
本研究は、機械学習を用いた画像認識が、これまで困難であった材料の特性評価に対して極めて有効であることを示しました。今後、マイクロマグネティックシミュレーションを用いて種々の磁気パラメータの組み合わせに対応する磁区模様の教師データを生成した上で、機械学習によって人工知能を上手く学習させることが実現できれば、その情報をデータベース化することで、調査したい材料、構造の磁区画像を入力するだけですべての磁気パラメータを手に入れることが可能となります。多くの労力を割かざるを得なかった材料の特性評価が簡便になることで、研究開発のアプローチに変革をもたらすことが予想されます。
5.発表雑誌:
雑誌名:「npj Computational Materials 」
論文タイトル:Determination of the Dzyaloshinskii-Moriya interaction using pattern recognition and machine learning
著者:Masashi Kawaguchi, Kenji Tanabe, Keisuke Yamada, Takuya Sawa, Shun Hasegawa, Masamitsu Hayashi, and Yoshinobu Nakatani
DOI番号:10.1038/s41524-020-00485-2
6.注意事項:
日本時間1月29日(金)午後7時(英国時間:29日(金)午前10時)以前の公表は禁じられています。
7.用語解説:
(注1)磁区画像:磁石は、拡大して見るとN極の向きが揃った領域に分かれています。この領域のことを磁区と呼び、N極の向きをマッピングした像を磁区画像と呼びます。
(注2)スピントロニクス:電子の持つスピンの自由度を利用することで、従来のエレクトロニクスに無い新機能・高性能素子の実現を目指す研究開発分野です。
(注3)ジャロシンスキー守谷相互作用:隣り合う磁化が空間的に90度ねじれた方向を向きやすくする相互作用です。次世代磁気メモリ開発の研究の中で重要なパラメータとして活発に研究されています。1960年頃に本相互作用の発見に大きく貢献した2人の研究者、イゴール・ジャロシンスキー博士と、日本の守谷亨博士が名前の由来になっています。
(注4)畳み込みニューラルネットワーク:画像分析を行うための機械学習モデルの1つで、画像認識の精度を飛躍的に高めたことでも有名です。画像データを縦横に並んだ1次元データとして取り扱うのではなく、縦や横のデータの近さを重視したモデルであるのが特徴です。英語ではConvolutional Neural Networkと表記されるため、略してCNNと呼ばれることもあります。
(注5)教師データ:機械学習において、人工知能を学習させるための例題と答えがセットになったデータのことです。この教師データを大量に学習させることによって、人工知能の予測精度が高められます。今回の実験では、磁区画像データが例題、磁気パラメータが答えになります。
(注6)テストデータ:機械学習において、人工知能の推定精度を評価するために用いる、教師データに類似したデータのことです。このテストデータは、教師データとは独立のデータである必要があります。人工知能に磁区画像データを与え、その結果人工知能が推定した磁気パラメータと、実際の磁気パラメータを比較することで推定精度が明らかになります。
(注7)マイクロマグネティックシミュレーション:磁石の構造を調べる数値計算法(コンピュータシミュレーション)の1種です。磁石をミクロなサイズ(セル)に分割し、セル同士の相互作用を考慮しながら、セルごとに運動方程式を解いて、時間発展を調べる方法です。
8.添付資料:
【画像: (リンク ») 】
図1:磁区模様の例
シミュレーションにより、計算した磁区模様の例。白い領域が紙面に対して飛び出す方向に磁化のN極が向いた磁区、黒い領域が逆向きの状態の磁区を表しています。画像右下に書かれた数字は、DMIの大きさ(D値)で、単位はmJ/m2です。人の眼で見れば、ランダムな構造をしているように見えますが、人工知能の眼で見れば、D値の違いによる磁区模様の違いを捉えることができます。
【画像: (リンク ») 】
図2:本研究の概念図
人工知能は、数値計算(コンピュータシミュレーション)によって得た磁区画像と、その時に利用した磁気パラメータを使って、学習します。この人工知能に対し、実験的に計測された磁区画像を読み込ませ、どの程度正確に磁気パラメータを推定できるかを明らかにするのが本研究の目標です。
【画像: (リンク ») 】
図3:(a) D値の設定値と推定値の関係。 (b) D値の設定値を固定した場合における推定値の分布図。 (c) Taの膜厚を変えた時のD値の実測値(赤色)と人工知能による推定結果(白色と黒色)。人工知能は二種類を用意しました(推定結果の白色と黒色に対応)。二つの人工知能の違いは、学習に用いた教師データの違いです。具体的には、教師データ生成時に設定した磁気パラメータKeffの値が異なっています。教師データの違いにも関わらず、二つの人工知能はD値についてほぼ同じ推定結果を返し、また実測値の傾向を大まかに再現することがわかりました。これは人工知能が上手くD値を推定できることだけではなく、二つの磁気パラメータD値とKeffを同時に推定できる可能性をも示唆しています。
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