今やITを使うあらゆる産業に浸透したオープンソースソフトウェア(OSS)。一方で活用が広がるにつれて、脆弱性対応など企業側が検討すべき事項も増えてきた。OSSのメリットを享受しながら賢く使い続けるために、今後はどのようなことに考慮していくべきか。産学の活動を通じて長年にわたりOSSの促進に携わってきた中央大学 国際情報学部の飯尾淳教授は、社会がOSSやAIのさらなる活用を進めるうえで、これからはITと法、倫理の観点が不可欠になると説く。ベリサーブの武田一城氏が聞いた。
三菱総研で経産省のソフト振興を支援。未踏第1期生としての成果もOSSに
武田氏:飯尾さんは中央大学で教鞭をとられるようになる以前は、三菱総合研究所でオープンソースソフトウェア(OSS)にかかわる仕事で長年活躍されていました。
飯尾氏:三菱総研には19年勤めた後、縁あって中央大学に移りました。三菱総研時代はOSSにかかわる仕事を随分とやらせていただきましたね。三菱総研は官公庁のご支援も事業の大きな柱としていますが、当時は経済産業省が日本のソフトウェア産業振興の一環としてOSSに力を入れており、そのお手伝いを10年間ほどさせていただきました。OSSを扱ったプロジェクトは70〜80件担当したのではないでしょうか。
もっとも、元からOSSが専門だったわけではなく、最初は信号処理や画像処理が専門でした。情報処理推進機構(IPA)が推進する未踏事業(旧未踏ソフトウェア創造事業)の1期生として、組み込み用Linux上で動く動画処理のライブラリを開発したこともあります※1。このプロジェクトが終わった後、せっかく税金で支援していただいて作ったソフトだからと公開したのが、OSSに対する私の最初の直接的なコントリビューションです。
また、動画をリアルタイム処理するライブラリを作っている中で、それをユーザーインタフェース(UI)に応用するという話が持ち上がりました。ステレオカメラでリアルタイムにジェスチャーを認識するといった仕事などをしているうちにのめり込み、今や完全にUIやユーザーエクスペリエンス(UX)の人間になってしまいました。現在は「人間と情報システムのインタラクション」の研究を専門領域に活動しつつ、OSSとは切っても切れない生活を続けています。
※1 2000年度未踏事業「組み込み用Linux向け動画像処理基盤ソフトウェア『MAlib』」。
ITと、それが使われる社会のルール(法)を学び、考える
武田氏:2013年に中央大学に移られましたが、初めは文学部で教えていたということをお聞きして、非常に驚きました。
飯尾氏:文学部の社会情報学で教鞭をとっていました。ただ、本学の文学部は懐の深いところがあり、当時の文学部長によれば「文学の部ではなく『文の学部』」だそうです。つまり、文字で表されることならばプログラムでも何でも対象にするということです。
ここで6年間鍛えていただく中で、人間とシステムのインタラクションにおいては人間側からシステムを見る視点だけでなく、「システム側から人間を見る」という視点もあると気づかされました。そこで、最近はTwitter上の言説空間を可視化してみたり、サイバースペースにおけるユーザーの行動分析を行ったりしながら、「人間側からシステムを見る」「システム側から人間や社会を見る」といった研究活動を続けています。
武田氏:非常に興味深い研究だと思います。私もシステム業界に長年居ますが「システム側から人間を見る」という発想はありませんでした。
飯尾氏:要は人間や社会の動きを、システムを介して見て、いろいろな視点から分析するということです。近年は本学でも人工知能(AI)やデータサイエンスの教育に力を入れており、私自身は決して専門分野ではないのですが、第2次AIブーム以降の流れやAIの基本は理解しているので、それに関する講義なども行っています。
武田氏:最近はChatGPTなどによりAIへの認知や期待がさらに高まるとともに、悪用を懸念する声も挙がっています。
飯尾氏:そこで重要となるのが、ITと、それが使われる社会のルール(法)をともに学び、考えることです。本学では4年前に国際情報学部を新設し、私は現在、同学部の国際情報学科で教壇に立っています。この学部の略称は「iTL」で、これは「情報の仕組み(IT)」と「情報の法学(Law)」を掛け合わせた造語です。AIやロボット、IoTやメタバースなど、ITはこれからの社会を大きく変えていく可能性を秘めています。そこで、これらのテクノロジーを人間中心で正しく使っていくためのルール(法)もしっかりと学び、考えられる人物を社会に送り出していこうというのが国際情報学部の設立理念です。
武田氏:まさに“法学の雄”として知られる中央大学ならではの学部ですね。
飯尾氏:また、ITやインターネットは世界のボーダーレス化も引き起こしています。そこで、国際社会についてのしっかりとした見識も必要だと考え、「情報の国際文化(グローバル教養)」を第3の柱に据えて独自の教育を展開しているところです。
OSSが成功したのは「ユーザー=開発者」の領域?
武田氏:ところで、昨今はOSSがさまざまな分野で広く普及し、例えば自動車産業でも制御システムや生産管理システムなどで各種のOSSが使われています。これほどまでに広くOSSが浸透したのはなぜだとお考えですか?
飯尾氏:難しい質問ですが、私が感じていることをお話しましょう。OSSは今日、さまざまな分野で、その領域の叡智やベストプラクティスを凝集したソフトウェアとして活用されています。ただし、1つだけ大きな成功を収めていない分野があるのです。
武田氏:どこでしょうか?
飯尾氏:デスクトップです。例えば、LinuxはサーバOSとして広く普及しましたが、デスクトップOSとしてはあまり使われていません。ユーザーが直接使うものとしてはせいぜいがAndroidで、あとはChromebookがこれからどれだけ使われるかでしょうか。オフィスソフトも、Microsoft Officeに比肩するようなソフトウェアは出てきていませんね。
武田氏:確かにおっしゃるとおりです。過去に複数のLinuxディストリビューターがデスクトップOSを発売しましたが普及は限定的でした。また、OSSのオフィスソフトも同様でしたよね。
飯尾氏:OSSが広く使われているサーバや組み込みの分野では、開発者がOSSのユーザーなのです。そのような分野では、直接コードを見たり、バグがあった際にソースをたどって直したりできるOSSが支持されたのだと思います。一方、デスクトップではOSSのユーザーは開発者ばかりではないため、別の要因が支配的になっているのではないでしょうか。