孫正義

用語の解説

孫正義とは

(ソン マサヨシ)
孫正義とは、日本を代表する実業家の一人で、ソフトバンクグループの創業者である。
1957年8月11日、佐賀県鳥栖市生まれ。 在日朝鮮人2世の次男で、朝鮮語ではソン・ジョンウィと発音する。 はじめ通称名の安本を名乗っていたが、後に朝鮮名の孫正義として日本に帰化した。 ちなみに、実業家でアジアングルーブ代表取締役の孫泰蔵は孫正義の実の弟にあたる。 孫氏は1974年に久留米大学附設高校を中退し、16歳で単身アメリカに渡った。 1980年カリフォルニア大学バークレー校を卒業。 専攻は経済学だった。 大学在学中に音声装置付きの多国語翻訳機の試作機を開発して、当時シャープ専務の佐々木正氏に1億円で買い取られた。 佐々木氏にはその後ずっとソフトバンクの相談役をしてもらっている。 その資金でユニソンワールドという企業を立ち上げ、1980年に日本へ帰国するまで米国での経営を続けた。 なお、米国へ留学中に、当地で出会った日本人留学生の女性と結婚している。 ※画像提供 / ソフトバンク株式会社 帰国後は自身の経営していた米国企業を売却した資金から事業を計画し、「日本ソフトバンク」を設立。 ソフトウェアの卸売り業や出版業などを始めた。 1983年重い慢性肝炎にかかり、その後3年間入退院をくりかえして苦しい時期を送る。 ただ、その期間は読書に没頭して、病床を格好の充電期間に変えてしまった。 その間のデータベース事業の失敗などで借金ができたが、それを返すために「電話をする際に自動的に一番安い回線を選ぶ装置」(NCCBOX)を発明し、これによって逆に20億円を稼いだ。 いわゆるネットバブルの崩壊の前に、米国Yahoo!社に多額の出資を行う。 米国Yahoo!が成功したことによって多額の資金を獲得し、氏の知名度も急激に上昇した。 この成功によって得た資金を、さらに様々な分野に投資をおこなっている。 1990年に社名から「日本」の字を取って「ソフトバンク」と改め、世界を視野にいれた事業展開を始めた。 1994年には苦節13年を経て株式を店頭公開した。 このとき、ビルゲイツからはお祝いの手紙が届いたという逸話が残っている。 1996年にはYahoo! Japanを設立し、2000年5月には米NASDAQと提携してナスダックジャパン(現ヘラクレス)を設立した。 2005年現在、ソフトバンクグループ全体としては、ソフトウェアの卸売り、出版、eコマース、金融、証券、ベンチャーキャピタル、Yahoo! BBなどの通信事業、放送事業などの分野にも事業を広げ、球団も獲得するなど、日本を代表するIT関連企業となっている。 ちなみに、「二十代で名乗りを上げ、三十代で軍資金を最低で一千億円貯め、四十代でひと勝負し、五十代で事業を完成させ、六十代で事業を後継者に引き継ぐ。 」という氏の「人生50年計画」は、いまや格言として有名となっている。

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