Wotif.com |
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業種:旅行 |
従業員:126名 |
主な業務:36カ国の6000を超えるホテル、モーテル、サービス付きアパートのオンライン予約サービス。ブリスベン、トロント、オークランド、シンガポール、およびロンドンに事務所を構える。 |
財務情報:未上場 |
確率から言えば、ドットコムの全盛期に設立されたWotif.comが5年後も存在している可能性はほとんどなかった。最高情報責任者(CIO)のPaul Young氏は2002年に入社し、同社のIT戦略の舵取りを任された。Young氏はWotifの問題は生存能力ではなく(需要は順調に伸びていたからだ)、システムを支えているMicrosoft の技術にあることを発見した。Microsoftの技術はすでに、急増する訪問者数に悲鳴を上げ始めていた。
当時の慣行にならい、ブリスベンに本社を置くWotifの最初のウェブサイトはMicrosoftのさまざまな技術を使って構築されていた。中心となったのは「Windows 2000」と「SQL Server」だ。この組み合わせは初期の設計にはふさわしいものだったかもしれない。しかし、Young氏が入社した頃にはすでに、このシステムが年100%の割合で増加するトラフィックに対応しきれていないことは明らかだった。
「(Microsoft製品の将来性に)制約を感じていた。最大の懸念は、当社が必要とする性能水準をSQL Serverが今後も提供できるのかということだった」とYoung氏は言う。「会社の成長にシステムがついてこれるかどうかは重大な問題だ。当社は急激に成長している。しかも、この状態は過去5年間変わっていない」
Wotifの文化である革新性を活用することが、急成長に対応できる、高い拡張性を備えたインフラを構築する唯一の方法だった。現在、Wotifの登録ユーザーは約37万人、毎月のユーザーセッションは200万件、予約件数は11万件に達している。
こうした数字が予測値にすぎなかった頃も、Young氏はMicrosoftのサーバと格闘するより、オープンなLinuxインフラに移行し、柔軟なシステムを構築した方がよいと考えていた。「Wotifは非常に革新的で、動きの速い企業だ。それに、プロプライエタリなソリューションに自分たちの可能性を制限されたくないという思いもあった」
Young氏がCIOに就任してからまもなく、この開発志向の企業はそれまでのアーキテクチャを捨て、よりオープンなJ2EE 1.5開発プラットフォーム(現在のJava EE 5)を構築し、その上でコアアプリケーションを動かすようになった。システムの要として、「Red Hat Enterprise Linux AS」と「Oracle 10g Standard Edition」が導入された。
移行のプロセス
しかし、すべての幹部がYoung氏ほど移行に積極的だったわけではない。
「疑問の声はたくさんあった。こうしたシステムが営利企業に導入された例はほとんどなかったからだ」とYoung氏は振り返る。「私は政治的な行動と啓蒙活動を通して、関係者の賛同を得る必要があると考えた。われわれはパイロット環境でウェブサイトの主要機能を徹底的にテストし、Linuxシステムに移行すれば、きわめて拡張性の高いアプリケーションを展開できることを証明した」。数字は嘘をつかない。テストの結果、LinuxベースのインフラでOracleのデータベースを動かすと、システムのヘッドルームを「約1000%」拡大できることが分かった。
しかし、新しいOSとデータベースプラットフォームの選択は、変化のごく一部でしかなかった。Young氏は改革の一環として、フレームワーク志向の開発手順を確立したいと考えていた。そのためにはスピーディな開発手法を採用し、主要なJ2EEアプリケーションの開発とテストをライフサイクルを通して、繰り返し行う必要があった。
このアプローチを実現するために、本格的なテスト環境が構築された。その結果、Wotifの18人の開発者は開発中のコードに対して、1秒間に数千のデータベース要求を自動的にシミュレーションできるようになった。開発アプローチのコア部分に関しては、すべてのテストと関連ベンチマークがクリアされない限り、アプリケーションは実装しないという明確なルールが定められた。
最初のテストの結果が示していた通り、LinuxとOracleを基盤とする新しいシステムは、その後2年間にわたって事業の拡大に対応することができた。2004年になると、Young氏のチームはシステムの拡張性をさらに強化するために、64ビットプロセッサの導入を検討するようになった。
この時も、最善策を確認するために厳密なテストとベンチマーキングが行われた。その結果、64ビットのAMD Opteronプロセッサを採用した、Sun Microsystemsの最新4ウェイサーバ「Sun Fire V40z」が、リニアな拡張性を実現できることが分かった。それはこのシステムが、くたびれ始めているIntelの競合プロセッサ「Itanium」を採用したシステムより、はるかに高い性能を実現できることを示していた。
Wotifの計画では性能が重要な要因となっていたので、会社はすぐにV40zサーバに移行することを決定した。このCPUが数週間前に発売されたばかりで、まだどのOSも対応していないことは問題ではなかった。
これがMicrosoft環境だったなら、WotifはMicrosoftが64ビットのWindowsをリリースするまで、新しいサーバプラットフォームの構築を1年近く待たなければならなかっただろう。しかし、Linuxコミュニティは数週間でこのプロセッサに対応したLinuxカーネルを公開した。Wotifは新しいカーネルをインストールし、テストし、それが約束通りの性能を発揮することを確認すると、ただちに新しいサーバプラットフォームに移行した。移行は迅速かつ円滑だった。
未来の成長を支えるコミュニティ
32ビットのIntelサーバベースのRed Hat Linuxから、64ビットのAMDベースのシステムに簡単に移行することができたのは、同社が一貫してシンプルなJ2EE開発を行ってきたことによるところが大きい。特定のハードウェアやOSに依存した機能を利用していなかったため、アプリケーションは簡単に新しい環境に移植することができた。
「当社のアプリケーションのほとんどはJavaで動いている。SolarisやLinuxの複雑で使いにくい機能を使おうとは思わない」とYoung氏は言う。「エンタープライズレベルでは、ハードウェアとOSの抽象化が始まっていると思う。私にとって重要なのはJavaが動くかどうか、それだけだ」(Young氏)
技術マニアのコミュニティに重要なコードの更新を依存するのは、徹底したリスク管理戦略を追求すべきCIOのすることではないと思うかもしれない。しかし、Young氏はLinuxコミュニティの信頼性、継続的な自己点検、関連スキルの入手のしやすさを根拠に、この戦略が実行可能であることは過去の歴史が証明していると主張する。
「私は結果主義者だ。最新のハードウェアに対応したソフトウェアが登場するまで、1年も待つつもりはない」とYoung氏は言う。
「私見では、一流のJava開発者のほとんどはLinuxを使った経験があり、オープンソースやオープンスタンダードといったものに慣れている。これは最新技術の文化だ。オープンソースコミュニティと、そこにいる驚くほど多くの協力者のおかげで、(更新ファイルは)短期間に次々と供給され、あっという間に新しい拡張を手に入れることができる。一般には、バグや問題への対処も早い。これはLinuxの大きな特徴のひとつだ」
Wotifは数年をかけて、よりオープンで拡張性の高い環境を整備し、Linuxを競争優位に転換した。現在、Wotifのサーバ環境は12台のプライマリサーバと12台のミラーサーバ(開発・テスト用)で構成されている。
Young氏と彼のチームは先頃、向こう5年から10年間のアーキテクチャ拡張計画を完成させた。未来のことは、これ以上ないほど楽観しているとYoung氏は言う。
「(これからの成長は)非常に刺激的なものになるだろう。オープンスタンダード、Linux、オープンソース、スピーディな開発――こういったものに対するすべての意思決定が、この成長を後押ししている」とYoung氏は言う。「将来を考えても、取り立てて大きな技術障壁は思いつかない。これはわれわれが正しい戦略を選んだことを意味している。Linuxは総所有コスト(TCO)に優れているが、私が見る限り、その優位性はますます高まっている」