--約500人がこのイベントに集まったと聞いていますが、25年経ってもこれほどの温かい歓迎を受けて、どんなお気持ちでしょうか。
私は、Commodoreは初のパーソナルコンピュータだったと考えています。また、われわれは、製品や部品の供給でAppleやAtariを支援できました。私は開発過程から見守り、最初の2年は、マーケティングや世界各国への出張もこなしました。これが信じられないほどのヒットになり、世界を変え始めました。そして、Commodoreは本当に世界を変えたのです。私は自分がその一端を担っていたことを誇りに思います。
--日本を訪問したことがきっかけで、将来はエレクトロニクスの時代になると考えるようになった、とおっしゃいましたね。
ええ、日本の影響は大きいです。彼らがわれわれとは異なる種類の人たちだというのは間違いありません。彼らは、何かをしたいと考えたら、とにかくそれに専念して取り組むのです。彼らは自国を非常に誇りにしていますが、われわれは違います。私は、日本の市場を開拓しようとして、日本にPETを出荷したときのことを覚えています。PETは日本で信じられないくらい成功しました。しかし、それから約2年後にNECという名の日本企業がパーソナルコンピュータ事業への参入を決めました。NECがそのことを発表した日を境に、PETの販売はストップしました。日本人は、日本製のコンピュータが出るのを喜んで待つことにしたのです。
--米国市場では同じような忠誠心を見たことはないのでしょうか。
ありませんね。われわれは、誰が作ったものであれ、安いものを買うのです。
--しかし、Commodoreは実際安くて、600ドル以下でした。
そうした米国人の傾向が一因で、私は価格を低く抑えることに決めました。大きな利益を確保しようとすれば、この国に流れ込んでくる輸入品が止まらなくなるからです。このやり方は成功して、私は大いに満足しました。この国に入ってくる外国製のマシンはほとんどありませんでした。ところが、私がCommodoreを去ると世界は変わりました。突然、価格が上がり、多くの企業が参入してきました。私は、かつて抱いていた理想に強い責任を感じています。コンピュータを人々の手の届く価格で提供して、コンピュータを富裕層向けではなく大衆向けにすることが、私の理想でした。
--今おっしゃった「人々」という言葉は、企業人だけを指すわけではないのですね。子供でも、貯金をすれば買えたかもしれません。
企業を顧客にすることはまったく考えていませんでした。IBMとは競争したくなかったので。
--人々は今でも、あなたを呼び止めて自分のC64の思い出を語りますか?C64を崇拝する集団は実際にいるのですが。
そういう人はいますが、私は寡黙な人間ですから。これは、私が実際に顔を出した初のイベントです。私はマスコミに囲まれるのが苦手なんです。皆さんが私のことを知らなければ、それが何よりの幸せです。
--今日のPC市場について、何か思うことはありますか。
PC市場は非常に活況で、さらに成長していくでしょう。これからは、製品をどのようなが非常に重要になるでしょう。筐体にいかに収めるかという部分で、技術が問われます。私は、製品が小型化するほど、売れ行きは伸び、使い勝手もよくなると考えています。そして、われわれはその方向に向かっているように思います。
--(Commodore以外に)他のコンピュータはお使いですか。
DellのPCを使っています。