仕事でもプライベートな暮らしの中でもなるべく減らしたいものの一つが「待ち時間」であろう。特に作業がストップしたり、拘束されて他のことができない・選択の余地がほとんどないような待ち時間は短いに越したことはない。「待たないで良いようにする」のが本質的な解決策であるが、それができない場合や、できても部分的だったりすることも多い。
多くの場合長い待ち時間はUXを悪化させるので、待ち時間を減らせない場合でもせめて何らかのUXを改善する施策を打ちたい。今回はそうしたことを考察していきたい。
待つという状況
まずは(いつものように)ある人が「待つ」という状況の分類から考察してみよう。その人が何かのタスクの実行を他の人やシステムに依頼(コマンドの実行などを含む)し、それが完了するのを待つような場合(「完了待ち」と呼ぼう)と、鉄道やバスを待ったり、あるいは空車のタクシーが通り掛かるのを待つような場合(「到着待ち」)、店舗のレジやテーマパークで列をなしてその人の番を待つような場合(「順番待ち」)、これらが三大分類であろうか。
もちろん実際のケースではこれらが混ざったり連続したりすることもあるだろうが、これらの要素に分解して考えることは可能であろう。
分類のもう一つの軸は、待ち時間の長さに関してである。待たねばならない時間の長さが決まっているか、決まってはいないまでもおおよそ予測可能か、予測が難しいか、ということで分けられる。
長い待ち時間はUXを悪化させがちであるが、待ち時間が予測できず、しかもそのばらつきが大きいような場合は、UXに著しく影響を及ぼす。歩行者用信号機で見られるように、見えづらい待ち時間を明示する、というのはUX改善の施策の基本的な手段の一つである。
他には、待つ間の行動や居場所の自由度も重要なポイントである。基本的に自由度が低いほどUXは悪化しがちであるし、限られていてもその選択肢次第ではUXを改善しうる。
そして、待った結果に対する期待度や結果の重要度、価値なども考慮すべき要素である。結果しだいでその後の状況を大きく左右するものごとの場合だと、待っている間の「気がかりさ」が増す。
一方、信号待ちなどのように、単に次へ進むための制約として待たされている場合は、(時間の余裕などに応じて)「いらいら」が募るであろう。それらはもちろん、「待つ」という体験に大きな影響を与える。