あなたの知らないMDM(マスターデータ管理)の世界--MDMの正しい使い方

第1回:「マスターなんて簡単だろ?」のワナ

水谷哲 (NTTコム オンライン・マーケティング・ソリューション)

2021-10-05 07:00

 「マスター」と書いたが、コンテンツの最終版のことではない。レコードの原盤のことでもないし、聖杯を求めて英霊を召喚する魔術師のことでもない。システムで呼び習わされているところのマスターデータである。マスターをきちんと作ること、正しく維持することが世間で過小評価されていて、それが目先ではITの問題となり今後はデジタルトランスフォーメーション(DX)の阻害要因となることを述べたいと思う。

マスターの問題はすぐ隣で起きている

 今はだいぶ減ったが、会員登録や申請での書類書きというものが世の中にまだまだ残っている。新型コロナウイルスワクチン接種の申し込みは、生年月日を書かせた上で年齢を書かせている。星占いで生年月日と星座を聞くようなものである。

 ワクチンに限らず、たいていは何か一つ申し込みたいだけなのに、何枚も書類がある。一枚ごとに氏名や住所などを書かされる。この欄は氏名でひとマス一字ずつ書けとなっているが、氏名は間を空けるのかつなげるのか、ふりがなの濁音や半濁音はひとマス使うのかどうなのか。住所と番地まで書けばいいのか。マンション名まで全部書くのか。「Ⅷ(ローマ数字)」が入っているのだが「VIII(アルファベット)」と書いた方がいいのか。ふりがなはハチなのかエイトなのか。

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 大体、何年も前からお付き合いがあって常連だと思っているような場合でも、なぜいちいち始めから書かせるのか。書かせておいてから他の書類と後から突き合わせて「間違っています」と指摘するのはなぜなのか。そこにいちいち人件費をかけた分は、結局こちらが払っているお金ではないのか。

 愚痴のようになってしまったが、これが顧客マスターである。いや、正確には顧客マスターの不在である。顧客マスターとは、「この人はどこの誰それである」という情報をまとめておくためのものだ。まとめておいて、次からは「私です」といえば「ああxxさんですね」で済ませるための仕掛けである。「私です」を同定(identify)という。ヒトだけでなくモノにも同定はある。

 いや、申込書を書かせるのは、最新情報を知るためだ。情報はアップデートしなきゃいけないと言われるかもしれない。顧客マスターを知っていれば、答えは簡単だ。今の情報を見せて「変更してね」と言えばいい。「引っ越しました」「名前が変わりました」「電話番号が変わりました」。こういう変化を「異動情報」という。人事異動の異動である。保険屋さんの夜間バッチは巨大な異動情報を夜中更新にかけている。

 こうした「マスターの不備」は、昔は不備ではなかった。紙の書類を箱ファイルにとじて本棚にズラリと並べていたからだ。箱ファイルを探して、日付順なりアイウエオ順なりを頼りに一枚ずつめくって探す。コンピューターなら1ミリ秒のところに5分かかるとすると、30万倍の時間がかかっている。

 やっと探しあてた紙に一項目でも足りなければ、その一項目を調べるのにまたもう一度同じ時間がかかる。紙の書類は、分散が苦手である。一枚に全部書いていてほしいのだ。今の観点で不備と言ってしまっては申し訳ない限りである。

 だがこれを今でも、一人一台PCを使っていてさえ同じことを同じようにやっている。故に「不備」と言わせていただく。なぜ不備が起きるか。その原因が「マスターなんて簡単だろ?」という思い込みである。

マスターをめぐる悲劇

 筆者はサプライチェーンのシステム構築やコンサルティングをやってきた。システムというのは大体が仕様変更やトラブルで予算や納期がオーバーしそうになるものだ。真っ先に機能を削られるのがマスター登録機能である。たいていは、その代わりに「Excelからアップロード」となるのがお約束である。

 手で作ったExcelファイルだけに、いろいろなトラブルが出る。全国の工場や倉庫から全国のお客さまへの輸送リードタイムから関東地方だけが抜け落ちる。すると製品ごとのグローバル出荷ルートに航空便がなく全部船便になってしまう。

 Excelのミスであっても、文句はぜんぶシステムエンジニア(SE)に来る。ある巨大プロジェクト本番稼働の前日、血を吐いて倒れそのまま入院した移行リーダーがいた。翌朝の記念写真に、彼だけは載っていない。「マスターなんて簡単だろ?」の悲劇である。

 マスターの管理をナメていたつもりはなく、気をつけていても悲劇は起きる。例えば、「鉄」のマスター。受注したり製造指示したりするには、製品を指定しなくてはいけない。その製品一つ決めるには、実は1000を越える項目を全部埋めないといけない。炭素、マンガン、ケイ素、モリブデンなどの成分と量、熱処理の方法や厚さ、幅、メッキ。しかも品質ランクというものがある。低品質だからといって不良品とは限らない。低ランクで値段の安い別の製品として売れることはままある。

 ヒトのマスターも複雑だ。ここでは個人・法人含めてヒトと呼んでいる。英語ではpartyつまりパーティーと呼ぶ。ヒトといえば住所・名前に後いくつか設定すればマスターだろう? そう思ったら、もう「マスターなんて簡単だろ」のワナにかかっている。金融だと職業に勤続年数。収入は無論のこと、公務員かどうかの区別なんかもある。校長先生フラグを見たときには驚いた。1万項目を越える業種も見たことがある。

 いい加減イヤになったかもしれないが、これで従来のマスターの話である。気をつければ「マスターなんて簡単だろ?」のワナを避けることができた、のどかな時代の話である。データドリブンやDXを実現するには、もう一山越えなくてはならない。

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