ソフトウェア市場において、世界で幅広く普及する製品開発を目指して、日本企業の挑戦が始まっている。これまで、海外進出を目指したソフトウェア企業のほとんどが失敗に終わっているが、前回の記事で紹介したサイボウズと同様、インフォテリア株式会社もまた苦い経験を持つ1社である。
1998年に国内初のXML専業ソフトウェア会社として設立されたインフォテリアは2002年6月に、多様なシステムの連携を直観的に行えるデータ連携ミドルウェア「ASTERIA(アステリア)」を発表。企業内外の業務に活用されてきた様々な世代のシステムを、データを介して橋渡しする基盤として注目を集めた。ASTERIAは現在までに、200社近くの企業に導入されている。
再び米国市場に打って出る機会を伺っていた同社は、国内でのASTERIAの成功を受け、米国市場への本格的な参入を決定。前回の海外進出で学んだこと、また失敗の要因は何だったのか、ASTERIAを中心とした新たな海外戦略とはどんなものなのか。同社代表取締役社長・最高経営責任者(CEO)の平野洋一郎氏、米国法人の社長に就任する江島健太郎氏に聞いた。
--前回、米国法人を設立した時の状況を教えてください。
平野:マサチューセッツ州のボストン郊外で、2000年2月に立ち上げました。創業した時から世界に通用するソフトウェアを開発することは、私や北原(淑行取締役・最高技術責任者)の信念でした。
日本の製品は、海外製品に比べて劣っているどころか、細かいニーズに応えた質の高い製品が多いですし、ハードウェアと同様にソフトウェアも評価されると思います。とくに私たちは外資系(旧ロータス、現在は日本IBM)に10年以上いましたから、品質の問題がいかに重要かを知っていました。
- 「米国で成功した最初の企業になりたい」平野洋一郎社長
ソフトウェア市場は、マーケティング的に国ごとの違いはありますが、製品自体の大きな違いはないと思っています。1999年1月に世界初の商用XML処理エンジン「iPEX(アイペックス)」を発売しましたが、その直後の3月には英語版も発売しているんです。
米国法人を設立する前でしたが、英語マニュアルを作成して英語サイトを開設したところ、多くのダウンロードがあり、英語圏のユーザーだけではなくロシア人から「ロシア語の文字が変換されない」といった質問を受けて困った経験もありました。エンジニアリングの領域では、国境はそれほど意識されないと思います。
--かつての米国法人の事業内容はどんなものだったのでしょうか。
平野:日系企業が海外進出する際には、情報収集を行うアンテナとしての法人が多いのですが、私たちは製品を売るのが目的でした。そのためには営業とマーケティング社員が必要ですし、プロフェッショナルサービスを提供するSEがピーク時で10人程おり、全社員で28人いました。社長は、ロータス時代から信頼している現地の人間に任せました。
しかし、当時の米国はITに対する凄まじい投資ブームで、私たちがXMLベンダーとして米国に乗り込んだ時には、すでに競合企業が10社ありました。彼らは2000万〜3000万ドルの投資を受け、マーケティングにも巨額の予算を投じていました。そこで、私たちも遅れを取らないよう、イベントに出たりマーケティング活動をしました。
しかし結局、当時の米国でXMLをベースとした市場が立ち上がることはありませんでした。私たちの敗因はそこにあると思っています。米国法人を解散したのは2002年3月で、法的な手続きを終えたのが2003年12月になります。
当時の米国でXMLをベースにしたビジネスが成り立たなかったと言えるのは、インフォテリアだけでなく、米webMethodsを除く全てのXMLベンダーが買収されるか消滅しているからです。webMethodsが生き残れたのはIPO(新規株式公開)を行ったからですし、米Extensibilityは米TIBCO Softwearに買収されてしまいました。
--前回の失敗の経験からどんなことを学んだのでしょうか。
平野:新技術に対する期待度が時間の経過とともに変化していく状況をモデル化した「ハイプ曲線」という有名なグラフがあります。新しい技術が生まれた時には、そのすぐ後に「過度の期待」の時期があり、認知度はピークを迎えます。しかし、このピークは世間での話題性であり、実際に収益を上げられるかどうかは無関係なのです。その後で「評価ニーズ」の小さな盛り上がりもあるのですが、この段階で事業規模を拡大すると失敗します。
私たちは、この評価ニーズの段階で米国に進出したのです。しかも、他社のマーケティングに負けないようにと競争してしまったのですね。そこが大きな敗因だと思います。
当時の主力製品iPEXは日米市場の両方でゼロからの出発でした。ASTERIAは日本で実績があるので、その実績をベースに米国市場で勝負をかけられるので、大きな違いがあると思います。すでに日本では200社近い導入企業が存在し、米国企業に馴染みのある大手企業が顧客に含まれているので、どんな企業に行っても大丈夫だという自負があります。