「系列」は寿司と同じく、米国が取り入れ、変換し、原形からかけ離れた形で利用してきた、日本生まれの興味深い「コンセプト」の1つである。
本来日本では、寿司は酒とともに友人たちと楽しむ前菜であり、サラリーマンを仕事の緊張から解放し、夕餉を取る前に軽くつまめるよう用意されるものだ。酒の肴というわけである。
これが米国では、感謝祭のディナーになることもある。冗談ではない。わが家の子供らは七面鳥が嫌いなので、サンクスギビングには魚を下ごしらえし、一緒に巻き寿司作りを楽しむことにしている。ごく一般的な家庭でも、アメリカでは寿司は立派な夕食になっている。
系列という言葉も、同じように扱われている。日本人は、投資や指揮系統などを介して強固に結びついた他業種の企業群を、系列と称している。枠の大きな家族企業といった意味だ。
ところが米国では、技術の専門家らが、はるかに緩やかな投資関係や戦略の共有状態を言い表すのに、もう10年以上も系列という言葉を用いてきた。
オープンソース界にも系列は存在するのだろうか。答えはイエスだ。1年前に成立したNovellのLinux協定、あれこそは、同社がMicrosoftのオープンソース系列に入るというものだった。だれもがそう考えていた。