シリコンバレーの天才、D・エンゲルバート氏の悲劇的な人生 - (page 2)

Tom Foremski (Special to ZDNET.com) 翻訳校正: 石橋啓一郎

2013-07-17 07:30

ポルポト派とPC革命

 Engelbart氏と話したその穏やかな夏の夜、パーソナルコンピュータの出現そのものが、彼のパーソナルコンピュータシステムについての研究を終わらせてしまい、彼がそれ以降何十年も資金を得られていないことを聞いた。

 私はショックを受けた。その独創性に富んだ研究は偉大で重要なものであり、数時間前にはXeroxのパロアルト研究所で非常に高く評価されていたにも関わらず、その研究によって彼自身が追放されてしまい、何十年も資金のない状態だったなどと信じられるだろうか?

 しかし、それが実際に起こったことだった。彼の話を聞くにつれ、PC革命の物語が、カレンダーの日付をゼロ年に戻し、その後、昔持っていた多くのものを再発明しなくてはならなかったカンボジアのポルポト政権に似ているように思えてきた。

 「われわれには、ネットワーク上でメッセージを送信できる個人用ワークステーションがあり、リモートから画面を分割することができ、電子メールがあり、表計算ソフトがあり、ワープロがあり、アプリケーションがあった」と彼は言った。これは70年代半ばのことであり、AppleやIBMのマイクロコンピュータが同じ能力を持つようになるよりも数十年も前だ。

 もし、すでにあったものを再発明するために20年を費やしていなければ、共同作業をするためのアプリケーションやシステムによる知性の増強という観点で、どれだけ先に進むことができたかを考えてみるといい。

 2005年に、Engelbart氏は次のように打ち明けてくれた。「この20年ほどの自分の研究は、失敗だったように感じることもある。私は資金を得ることができず、誰も会話に引き込むことができなかった」

人に訴える力

 彼の研究は、PCによく似た個人用ワークステーションに接続された大型コンピュータと、タイムシェアリングと呼ばれるコンピュータアーキテクチャに基づいていた。

 しかし当時は、マイクロコンピュータと、その何にも接続されず、それ単体で使えるという考え方が、将来性のあるものと考えられていた。そして「権力者」や、権力と圧力の象徴である集中型のシステムを嫌うカウンターカルチャーが、Engelbart氏やその仲間の研究に基づくタイムシェアリングのメインフレームを拒んだ。巨大な集中型システムは、計算機科学の世界から嫌われ、それとともに資金も集まらなくなり、その資金は代わりにマイクロコンピュータをベースとしたアーキテクチャに投入された。

 個人や人間のエンパワーメント、そしてそれ単体で使えるという急進的な理想がカウンターカルチャーを支配し、スタンドアロンのパーソナルコンピュータを目指すもののお題目となった。大衆文化が、コンピュータアーキテクチャのような一見まったく異なるものに影響を与えた例だ。

過去の再発明

 現在のコンピュータシステムは、基本的に1960年代、70年代にあったタイムシェアリング型のメインフレームと同じものだ。巨大な集中型のコンピュータシステム(サーバファーム)に個人用のワークステーションをつなぎ、互いに通信し、表計算ソフトやワープロやアプリを実行している。

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