1988年、Joe Jones氏がMIT人工知能研究所(現在のMITコンピュータ科学・人工知能研究所:CSAIL)で小型ロボットの研究をしていたとき、面白いアイデアを思いついた。「わたしは非常に小型の反射行動ロボットについて興味を持ち、このタイプのロボットでたくさんのことができるはずだと考えた。例えば床を掃除するロボットを作ることができるはずだと」とJones氏は言う。
Jones氏はLEGOで床掃除ロボットの製作を始め、「Rug Warrior」(ラグマットの戦士)と名付けると、これをロボットオリンピックに参加させた。
その3年後、同氏はDenning Mobile Roboticsで働き始め、そこにこのアイデアを持ち込んだ。同氏は、同僚の機械エンジニアJack Shimeck氏と一緒に、その概念を実証するプロトタイプを開発した。その後、同氏らはその「RoboBroom」(ロボットほうき)のアイデアのデモを会社に披露した。「われわれは、これはうまくいくに違いないと思っていた」と同氏は言う。
その10日後、同氏らは2人とも解雇された。
「会社はこの製品がものになるはずがなく、われわれがおもちゃで遊んでいるだけだと考えた。本物のロボットは大きくて高価なものだというのが会社の考えだった」(Jones氏)
提供:Joe Jones氏
Jones氏は、この挫折にもひるまなかった。その数カ月後の1992年2月、同氏はiRobotに雇われた。同社は、Colin Angle氏(同社の3人の創立者の1人)が小型ロボットを作るために日本企業と2万ドルの契約を結んだときに設立された会社だ。Jones氏は同社の初めてのフルタイム従業員だった。その約15年後にJones氏が同社を辞めたときには従業員は300人おり、ピーク時には600人近かった。
しかし、初期のiRobotは財務的に困難な状況にあった。「Angle氏は、同社は最初の2年間、月の初めに月末に払う給料分の現金を持っていたことがなかった、というジョークをよく言っていた」とJones氏は言う。
「わたしはそれに、月末にも十分な現金がなかったことも時々あったと付け加えたい」
このような状況だったため、iRobotの同僚は床掃除ロボットのアイデアに好意的だったにもかかわらず、このロボットを開発するだけの資金的余裕ができたのは1999年になってからだった。その時期には、従業員の数は20人になっていた。Jones氏と同僚のPaul Sandin氏は、その時点から3年間「Roomba」(ルンバ)にフルタイムで取り組み、完成した製品は2002年に発売された。
「このときは首にならなかった」(Jones氏)
Roombaはかなり早い時期に有名になった家庭用ロボットの1つで、これまでに世界で1000万台以上販売されている。同社の成長にもかかわらず、Jones氏は落ち着かなかった。「iRobotはRoombaで成功を収め、その少し後には『PackBot』と呼ばれる軍用ロボットでも成功した」と同氏は話す。このため、iRobotは小型ロボットの開発に投資し続けた。「しかし、わたしはロボットが次に大きな成功を収めるのはそれらの分野ではないと考えた」と同氏は述べた。
「Roombaの問題の1つは、床を掃除するロボットを開発したら、次に作るべきものは何かということだ。窓ふきロボットか?それともトイレ掃除ロボットだろうか?だが、それらの技術は、床掃除とまったく関係がないもので、ゼロから開発を始めなくてはならない。自分がやりたいことを追求するには、iRobotを辞めるしかなかった」と同氏は話す。
Jones氏は2006年に、何人かの同僚を説得して、新しい会社であるHarvest Automationを設立した。同氏らはこの会社で、温室栽培農業向けのロボットを作った。「農業では技術は関連している。あることのためにロボットを作ったら、似たような別の仕事のためのロボットを作ることもできる」と同氏は言う。