2020年10月、中国の全国人民代表大会の常務委員会において、個人情報保護法の草案の審議が行われた。草案では個人情報の利用について、十分な告知の上で承諾を得る必要があると定めており、収集した個人情報を海外に移転する場合は、国の関連部門の審査が必要となる。もし、違反すれば最高で5000万元(約8億円)もしくは前年の売上高の5%が罰金として科せられる。この法案は、国際的に見れば、欧州のGDPR(一般データ保護規則)に始まる個人情報保護のルール作りの流れに沿ったものだともいえるが、主に海外のIT企業にとっては、個人情報利用に関して、無法地帯が故の魅力が失われることにもつながる。
本連載では、スマートシティーの目的である「経済的な発展」と「社会的課題の解決」に対するサイバーセキュリティリスクとは何かを考える中で、深圳、トロント、シカゴの3つのスマートシティーの取り組みから、共通の論点として「個人の自由とプライバシー」の尊重を取り上げてきた。結果として、「個人の自由とプライバシー」を尊重する場合、都市における許諾なしのプライバシー関連データの収集・利用については、「社会的な課題解決」が目的であったとしても、市民の強い懸念・抵抗があり、それらの対処に想定以上にコストがかかるため、現状ではビジネスとして成立しないということが分かった。無法地帯だった中国でさえも、プライバシー保護の動きがある中で、「個人の自由とプライバシー」と「データ駆動型のスマートシティー」のバランスをどのように取るのかは、今後のスマートシティーを考える上では重要な論点になると考えられる。
スマートシティーの目的とプライバシーの活用理由
本題に入る前に、スマートシティーにおけるプライバシー活用の理由を、「経済的な発展」と「社会的課題の解決」の目的別に整理する。
「経済的な発展」においてプライバシーを活用する理由は、「個人に対するマーケティング」にあると考えられる。サイバー空間上では、EC(電子商取引)サイトやウェブ広告などの「サジェスト機能」として、既に一般的なものだ。購入・閲覧履歴などから、その人の興味を知ることができれば、効率的なマーケティングが可能となり、売り上げが向上する。もし、スマートシティーにおいて、物理空間上の個人の行動履歴を分析することができれば、新たなマーケティング機会となることだろう。携帯電話のGPS、監視カメラによる顔認証、交通機関の利用履歴、店舗の購入履歴(電子マネー、クレジットカード利用時)などの技術的な要素はそろっている。
これらのデータを収集・分析することで、「いま食べたいもの」「今日見たい映画」「明日行きたい観光地」を、物理的な店舗や経路とともにサジェストすることができれば、コンビニ、飲食店のフードロスを減らしたり、映画館、交通機関の混雑を減らしたりといったことさえ可能になるかもしれない。もちろん、この情報をサイバー空間上の行動履歴と組み合わせれば、さらなるマーケティング効果が期待できる。スマートシティーにおいて、プロジェクトに参加する企業が最も欲しいものは、この「マーケティングに資するインテリジェンス」である。深圳のスマートシティーでは、あらゆるセンサーのデータを集約・分析するプラットフォームから生じるインテリジェンスが、国内外のIT企業を引き寄せ、経済的な発展を実現している。
ただ、このインテリジェンスから生まれる「サジェスト」を、個人が本能的に気持ち悪いと感じてしまうのも事実である。この方向性の先に、持続可能な社会である「ユートピア」というオブラートに包まれた、個人の意思までもがコントロールされる「ディストピア」を想像するからだ。
一方で、「社会的課題の解決」においてプライバシーを活用する理由は、主に「治安維持」「街の暮らしやすさ向上」にあると考えられる。既に「監視カメラ」が、交通違反や犯罪捜査に活用されており、「治安維持」のためのプライバシー収集については、事実上、世界各国で容認されているとみて良い。国によって違いはあるものの、警察などの法執行機関のみが、令状などの手続きを経て利用するという制限があり、積極的なデータ活用は難しい。
一方で「街の暮らしやすさ向上」を目的としたプライバシー収集については、シカゴのArray of Thingsプロジェクトにおける歩行者の交通調査、渋滞解消の取り組みの頓挫にも見られるように、公益性があるにも関わらず、市民とのプライバシー議論の泥沼が待っているように思える。ただし、「街の暮らしやすさ向上」に関して言えば、「スマートパーキング」「スマート照明・空調」「センサーによるごみ収集効率化」など、プライバシーを収集しなくても実現できる取り組みが多くある。プライバシーに関するデータのセキュリティ管理に多大な投資が必要となることを考えれば、「社会的課題の解決」においては、安易にプライバシーを収集しないという選択肢も十分に考えられる。
スマートシティーの目的実現におけるプライバシーの活用は、「得られる利便性」と「市民の理解も含めたプライバシー利用に関わる制限・コスト」とのトレードオフであるといえる。「経済的な発展」が目的の場合、「得られる利便性」の究極的な主語が「企業」であることが透けて見えると、市民にとってはトレードオフにさえならない。「社会的課題の解決」が目的の場合も、「市民の理解も含めたプライバシー利用に関わる制限・コスト」が想定以上に大きく、市民が「得られる利便性」と比べて割に合わないというのが現状である。
では、「個人の自由とプライバシー」と「データ駆動型のスマートシティー」のバランスをうまく取る方法はないのだろうか。そのために、これまでの2つのスマートシティーの取り組みを参考として、技術的視点と政治的視点で考察してみよう。