東北地方を襲った東日本大震災。多くの生産拠点が被害を受けたが、福島県伊達市にある富士通アイソテックもその中の一社だ。
富士通のデスクトップPCを生産する富士通アイソテックの、被災から復旧、そして復興に歩み始める様子を追った。
震災がフル稼働中の生産ラインを襲う
富士通の国内向けPCサーバ、デスクトップPCを生産する富士通アイソテックは、福島駅から車で約30分。福島駅からは、阿武隈急行を使い保原駅で降りるのが最寄りだ。取材に訪れた4月中旬には、阿武隈急行はまだ部分開通の状態。震災の影響が大きいことを物語る。
3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災で、福島県伊達市の富士通アイソテックは震度6弱の地震に見舞われた。
最初の揺れはそれほど大きいものではなかったが、時間が経つにつれて揺れはだんだん大きくなっていった。
そのとき、生産ラインでは年度末需要にあわせてフル生産体制を敷いており、デスクトップPCだけでも約200人が作業していた。
最初こそ作業台の上にあったPCやサーバを押さえていたスタッフだったが、揺れが大きくなるのに従い、身の危険を感じ始め、すぐに逃げ出した。
生産中のPCは作業台から落ち、部品がそこらじゅうに散乱し始めた。その後の余震で、天井からは大型エアコンが落下。天井を這っていた空調ダクトやケーブルが落ち、壁もはがれ落ちた。すぐに屋外に逃げ出したことで、約1000人の従業員は全員が無事だったが、生産ライン上にあった約1000台のPCや、500台弱のPCサーバは廃棄しなくてはならなくなった。
事前に策定した事業継続計画に則って行動
富士通のパソコン事業部門では、被災した際の事業継続計画を事前に策定。これに則り、ノートPCを生産する島根富士通に、デスクトップPCの生産を一部移管することを決めた。本来のルールならば、その日のうちに意思決定することになっていたが、相次ぐ余震で工場内部に立ち入ることができず、状況確認に遅れが生じ、移管を決定したのは震災から2日後のことだったという。