前々回の「働かない『働きアリ』と ジャック・ウェルチの過ち」を書いた後、その中で取り上げた長谷川英祐准教授に『働かないアリに意義がある』という著作があることを知った。読んでみて、アリには組織の存続を賭けた過酷なキャリアパスがあること、「怠け者」は徹底的に怠け者で、死ぬまで働かない働きアリもいることを知った。
そして、そのすべてがアリ社会の存続のためなのである。どうやら、アリ社会から我々が学べることは、まだまだありそうである。
アリの冷酷なキャリアパス
アリは人間同様に社会性生物であり、組織として生き残ることにその行動は最適化されている。そして彼らは現在も勝ち抜いているのである。
故に、その行動様式には組織戦略として学ぶところがあると考えるべきだ。アリ社会の勤労者たる「働きアリ」にもキャリアパスというのがある。しかも冷酷な。
前掲書によれば、アリは若いころは内勤、つまり子供の世話などを中心に担当し、年を重ねると外回り、つまり餌探しを担当する。なぜか。
「働きアリ」が労働力として長く機能するように、余命が長い若者は危険の少ない巣の中での作業を担い、余命が短い高齢者は命を落とす危険の多い巣の外での作業を担うのだ。これによって、一匹一匹の働きアリは、より長く社会の存続に貢献することが出来る。
それでも働かないことの合理性
それだけ過酷な「働きアリ」の世界において、働かないことが許されるのは何故か。実は、これは許されるというよりも、働かないように仕組まれていると言った方が正しいのである。つまり、アリが皆一斉に働いて、一斉に疲れてしまうと巣の存続が危うくなってしまうというのが正解なのだ。
どういうことか。我々人間でも、すぐに夏休みの宿題を始める人と、ぎりぎりにならないと始めない人がいる。同様にアリにも、子供がお腹を空かしていたらすぐに給餌をするアリと、よっぽど空かさないと給餌をしないアリがいるのである。
これは、アリの社会の労働量調整の仕組みで、暇なときは一部のアリしか働かないけれども、忙しくなるとより多くのアリが働き始める仕組みになっている。これは、アリの個体によって仕事に対する感応度(これを「反応閾値」と呼ぶらしい)が異なることによって実現するのだという。
ゆえに、最も反応閾値が鈍いアリは、うまくいけば一生働かないのである。が、それはこのアリが悪いのではなく、アリ社会の労働力調整の仕組みとして、そう生まれついたのである。ということは、怠け者も存在意義があるということだ。
バカであることの合理性
更にである。長谷川准教授によれば、バカにも存在意義があるという。アリは大きな餌を見つけると、フェロモンを使って他のアリにルートを教えてみんなで運ぶという行動を取る。
しかし、その通りに行動しないバカなアリがいて、みんなと同じルートを辿らない。そういうアリが餌への最短ルートを発見したりするらしく、実験によれば、そういうアリがいる方が結果的には効率的に餌を集めることが出来るらしい。
長谷川准教授曰く、「お利口な個体ばかりいるより、ある程度バカな個体がいるほうが組織としてはうまくいくということです」。なんと心強い。
つまり、怠け者だけでなく、バカ者にも存在意義はある。組織では協調性が重視されるが、意図的にはぐれ者を混ぜることが大切なのである。