Canonicalと「Ubuntu」は、「Linux」が一般に広く受け入れられるチャンスを与えることができるだろうか。この記事では、それが実現するかもしれない10の理由を挙げる。
「Ubuntu Linux」に対する人々の反応は、人によって大きく異なる。追い詰められた猫のように威嚇する者もいれば、喝采する者もいるし、混乱して頭をひねる者もいる。しかし、長年のLinuxユーザーであり、CanonicalとUbuntuを支持している筆者には、1つの言葉が思い浮かぶ。その言葉は「未来」だ。その理由はシンプルだ。Ubuntuは、デスクトップOSとしてのLinuxが一般に受け入れられる鍵を握っている。
もちろん、CanonicalとUbuntuは完璧ではない。今までにミスも犯しているし、Linuxコミュニティのかなりの部分から切り離されてもいる。それでも、Ubuntuのディストリビューションは、最大のチャンスをもたらしている。この記事では、その理由を説明しよう。
1.モバイルプラットフォーム
Canonicalはコンピュータの未来について検討し、それがユーザーの手の中にあると考えた。これは文字通りの意味だ。Ubuntuはスマートフォンとタブレットの両方で、モバイルデバイスにLinuxを載せる最初のディストリビューションだ。また、Ubuntuのパワーをモバイルデバイスで扱えるようにすれば、Linuxプラットフォームに大きな勝利をもたらすはずだ。Ubuntuを採用したスマートフォンやタブレットはまだ発売されていないが、すでにうわさは流れ始めている。これらが、今後「iOS」デバイスや「Android」デバイスに取って代わるかと言えば、そうはならない可能性が高い。しかし、Linuxプラットフォームにより多くのユーザーを呼び込むことは確実だ。
2.デバイスの統合
「Ubuntu phone」や「Ubuntu tablet」の発売に向けて、Mark Shuttleworth氏が設定した目標の1つは、デバイスの統合を実現することだった。これは、サーバからスマートフォンに至るまで、あらゆる種類のマシンで、同じインターフェースを利用できるということだ。この統合は、「Linuxは難しすぎる」というレッテルをはがすために大いに役立つだろう。これは現在のLinuxを取り巻く否定的な見方をなくすことにつながるのに加え、インターフェースがすべて統一されていることで、プラットフォームのサポートをずっと簡単なものにしてくれる。
3.一般ユーザー向けに開発されている
Ubuntuは、平均的なコンピュータユーザーを主な対象とした、初めてのLinuxディストリビューションだ。多くのディストリビューションはすでに洗礼を受けた人たちに教えを説いているが、Canonicalはそのほかの世界に力を注いでいる。もし、Linuxを一般人の手に届けられるディストリビューション(あるいはそれを管理する会社)があるとすれば、それはCanonicalとUbuntuだろう。ほかのほぼすべてのディストリビューションは、すでにLinuxやオープンソースになじんでいるユーザーをターゲットとしているように見える。