そこにEdward Snowden氏の「PowerPoint」プレゼンテーションが登場し、FacebookやGoogle、その他の企業が、NSAとデータを共有していた(かもしれない)ことを明らかにした。
そこで突然、政府を信頼できないだけでなく、われわれの人生の細部まで入り込んでいる企業も信頼できなくなったのだ。
また、インターネット企業を信頼することも、ファッショナブルではなくなった。信頼は死んだのだ。2013年は、信頼が死んだ年になった。
デジタルな足跡
未来に向けて考えるなら、ある事実を認識する必要がある。われわれはデジタルな足跡を残して生きているということだ。これらのデジタルな足跡は、国家とマーケティング担当者の両方に収集され、分析される。この情報は、プライベートな人生をのぞき込むのに使われるのと同時に、われわれの人生を少し楽にするのにも使われる。
だが、こういった事態は新しいものではない。正確に言えば、われわれにとっては新たな事態だが、人類にとっては新しいものではない。
数千年の歴史を通じて、人や動物が誰かの前を歩くとき、その後ろの地面に小さな痕跡を残してきたのだ。これらの痕跡は、第三者によって追跡可能であり、狩りでは有効に使われてきた。その目的が食料であれ、囚人を捕まえることであれだ。
20世紀になると、道路は舗装され、歩道はコンクリートになってしまい、われわれは足跡のことを忘れた。泥で汚れることはあるかもしれないが、痕跡や足跡はなくなった。足跡はだんだん珍しいものになり、現実の世界にはなく、西部劇の中でしか見られないものになった。
しかし、その足跡が再び戻ってきた。この足跡は、物理的なものよりも永続的に残る。結局のところ、30年経った今、太平洋標準時1982年11月25日1時42分56秒に私がUCバークレーのUcb-C70にログインしていたことは、Googleのおかげで誰でも知ることができるわけだ。
オンライン上にあるものはすべて、情報を記録している。すべてが足跡を残す。データは移動しない。複製され、場合によっては削除される。
今は21世紀だ。ビジネスはすべてオンラインになっている。個人的なコミュニケーションも、その多くがオンラインで行われている。オンラインでのショッピングの量もかなりのものだ。そして、人ともオンラインで会っている。オンラインでほかの人たちと一緒に働いている。また、オンラインで恋愛さえ生まれている。
18世紀が農業社会だったのと同じように、われわれは今オンライン社会に生きている。
どちらの社会でも、足跡が残ることは同じだ。18世紀の足跡は泥だらけのことも多く、靴の中に泥が入っていることもあった。現代社会の足跡はデジタルだ。われわれの泥は物理的なものではないが、汚さでは引けを取らない。
まもなく新年がやってくるが、データ収集、監視、ビッグデータなどの問題を考えると、私が読者に送るアドバイスは1つだ。足元に注意すること。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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