5月から文部科学省で開催されている「『デジタル教科書』の位置付けに関する検討会議」。文部科学省の初等中等教育局教科書課が担当する会議だ。毎月の会合には、教育関係者や教科書会社など多くの関係者が傍聴に詰めかけている。「デジタル教科書」に関する法制度、実装すべき機能、教育効果、導入に係るコスト負担などさまざまな課題を抱えてスタートした同検討会議だが、これまでに開催された3回の会合(第1回、第2回、第3回)を通じて、検討の方向性が徐々に定まってきたようだ。会議の座長を務める東北大学大学院 教授の堀田龍也氏に話を聞いた。
--そもそも、なぜ今、教科書のデジタル化が検討され始めたのでしょうか。
東北大学大学院 教授 堀田龍也氏
むしろ、検討が始まったのが遅すぎるくらいだと思っています。世の中では、新聞も書籍もデジタル化されており、紙で読むか情報端末を使ってデジタルで読むかの選択肢があるのに、教科書については、戦後つくられた教科書制度によって、紙以外の形が許容されなくなっている。これは、市場として発展する機会を逸失しているという話は別にしても、何より子どもたちにとって不利益となりかねないと感じています。
学ぶためのリソースがいろいろな形で提供されれば、子どもたちが自分の関心がある分野を深く掘り下げることができる学習環境が整います。2020年度から次期学習指導要領が実施される予定ですが、その策定に向けた議論の中では、教師が子どもたちに一対多で教える一斉授業だけではなく、子どもたちが課題に対して自ら主体的、能動的に学ぶアクティブラーニングの重要性も指摘されています。子どもたちが自律的に学習を進めるためには、学ぶためのリソースが豊富に用意されている必要があります。そのためのメインコンテンツになり得るのが「デジタル教科書」だと思っています。
--「デジタル教科書」は、子どもの学び方の選択肢を増やすためのものだと。
これまでの3回の会合で、私を含めて17人の委員の誰からも「紙の教科書をデジタルに置き換えるべき」という意見は出ていません。私自身も、当面は紙の教科書を残しつつ、「デジタル教科書」も用意して学びの環境を豊かにすることが望ましいと考えています。
新聞がネットで読めるようになって久しいですが、紙の新聞もいまだ無くなっていません。ネットは選択的にニュースを読むことに適しており、紙は網羅的に情報を得ることに向いている。このように、紙とデジタルのどちらも提供されているから、人々が自分のスタイルに合う方法を選ぶことができるのです。
「デジタル教科書」の在り方を検討するとき、「そもそも教科書をデジタル化する意味は何か」というところから議論がスタートしがちですが、では、教科書だけ紙しか用意されない必然性はあるのでしょうか。デジタル化する意味は、学習リソースの選択肢を増やすことです。その教育効果なりの詳細な検証は、教育現場で実際に使われていく中でやっていけばいいと考えています。
--学習者が「デジタル教科書」を使うためには情報端末が必要ですが、全国の学校に1人1台のPC環境を整備することは現実的なのでしょうか。
学習者用PCの台数が少なく市場規模が小さいから、学習者が使うための「デジタル教科書」が製作されないという産業界の論理もありますが、逆に、世の中に良質なデジタル教材がないから、教育現場で情報端末の導入が進まないという見方もできます。教科書がデジタルでも製作されるとなれば、それを教育に取り入れるために学校内にハードウェアやネットワークを整備しようという機運が高まるのではないでしょうか。
また、かつては五輪が開催されることに伴って、それを視聴するためのテレビが売れましたよね。よいコンテンツがあれば、それを利用するための情報端末に人々はお金を払うものです。「デジタル教科書」というものが用意されたときに、それがよいものであれば、自分で情報端末を購入してでも使いたいと考える家庭が増えて、BYODで1人1台PC環境が整う可能性もあります。
大事なのは、1人1台PC環境が整っていないという理由で、教科書のデジタル化の議論をストップさせないことです。
この検討会議のミッションは、「デジタル教科書」の位置付けを検討することであり、1人1台PC環境の実現手段や、情報端末の仕様などは厳密には検討の対象ではありません。そういった範囲にまで議論を広げて議論を発散させるのではなく、「デジタル教科書」にフォーカスして、位置付けや法制度の在り方についての方針を示すことが役割ですので、検討会議では「『デジタル教科書』を導入するためにはこういった制度上の課題があって、制度のこの部分を変えるとこんなことが実現する」といったような提言をまとめたいと思います。
--検討会議での大きな検討課題に、「デジタル教科書」の検定の在り方があります。
「デジタル教科書」の検定の在り方については、今後、さらなる議論を重ねて、ぜひ現実的な手段を提示できたらよいと思っています。
これまでの検討会議の中で、「紙の教科書を検定して、検定を合格した教科書の内容をデジタル化する。音声や動画など検定が難しいものは副教材扱いとしてはどうか」という意見が出ていました。この意見が最も現実的な案ですが、副教材となると、教科書としての使用義務もかからないでしょうし、国からの無償給与ではなく、教育委員会か学校の予算等で購入することになるでしょう。
例えば、国は次期学習指導要領の策定に向けた検討の中で、アクティブラーニングの充実と同時に「英語教育」にも力を入れるとしています。英語教育を充実させるためには、発音練習やリスニング、英会話学習のための教材として音声コンテンツが重要ですが、それを副教材に位置付けると、学校によっては予算がなくて購入できないケースが出てくる。だから、音声や動画を「デジタル教科書」に含めて、無償給与すべきだという意見が出てくるのです。
一方で、音声や動画を教科書とするとき、その検定が“技術的に”可能なのかという観点から検討する必要があります。例えば、音声による会話がどの程度の流ちょうさや明瞭さならよいのか。さらに動画になった場合には、そこに映像が入ってくるわけなので、どのように検定すればよいのか、そもそもできるのかという点は、極めて難しいところだと思います。
また“時間的に”可能なのかという観点からも検討する必要があります。紙の教科書とは別に、「デジタル教科書」を検定するとしたらそれだけ余分に時間が必要となります。時代の流れは速くなっているのに、それに逆行して、教科書は提供が遅くなるというようなことがあってはいけません。検定を行う人員を増やせばよいという意見もありますが、それが現実的ではないことは容易にご理解いただけるかと思います。
では、検定以外の方法で質を担保できるのか、例えばコンテンツの内容が適切かどうかをアウトソーシングでチェックするという考え方もありますが、それを果たして教科書として位置付けてよいのか。いずれにしても、「デジタル教科書」の質の担保については非常に大きな課題です。
いずれにしろ、検討会議は、1年半という限られた期間の中で、これらの課題をできるだけ明確にし、当面どこまで解決できるのかを提案し、中長期的にはどうあるべきかということを検討していくことになります。色々と難しい課題ばかりを挙げてしまいましたが、検討会議では前向きに検討を進めていきたいと考えています。